町村会

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明治十一年(一八七八)七月地方三新法が布告され、同年十一月乙第二七四号で大区小区制の廃止、郡役所の設置をみた栃木県は、同十二年五月、各町村に戸長役場と、戸長公選の件が布達されたが、本格的な町村会の開催は、同十三年を待たなければならなかったようである。県では同十三年一月に「町村会規則」(甲第一号)を布達してその基準を定めているのである。これによって各地に町村会開催の準備が進められた。これによれば、町村会は「其町村限リノ経費ヲ予算シ及ビ其賦課法ヲ設ル事」(第一条)のほか、共有財産の維持方法の決定、町村共有の土地・家屋・金穀の借入の決定、地方税を課するための家屋等級を設けること、町村限りの経費をもって事業の起廃の件などを審議するものとされている。町村会議員はその町村の人口に応じて定めることとされ、二五〇人以下では八人、五〇〇人までは一〇人、一、二〇〇人まで一五人、二、〇〇〇人までは二〇人を選ぶものとされている(第一〇条)。選挙権(第一三条)及び被選挙権(第一四条)は満二〇歳以上の男子で、本籍ある不動産所有者に与えられている。議員の任期(第二一条)は四年で、二年ごとに半数を改選するものであった。議長は議員中より公選(第二二条)され、また一般町村民の傍聴(第二八条)も許されている。「会議ハ過半数ニ依テ決ス)(第二六条)と多数決の原理によっている(「栃木県史 史料編・近現代一」)。
 明治十一年の郡区町村編制法では、毎町村に戸長一員を置くこととし、また数町村に一員を置くことをも認めているが、しかし同十三年の甲第一号「町村会規則」の段階では、戸数僅少の村々においても隣村との連合を認めず、県は単独の村会の開設の指示をしているのである。しかし、実際には連合町村会が開催されていたようである。次に記すは、大田原宿外四か村の町村会開催についての伺書である。
 
    町村会之儀ニ付伺
          大田原宿外四ケ村
             戸長役場
本年当県甲第一号ヲ以テ御布達相成候町村会規則之儀ハ、毎町村ニ一箇ノ会場ヲ設ケ其町村人員ノ多寡ニ従ヒ議員ノ数ヲ定ム可キノ処、当役場部内大田原宿ハ人員三千四百四十余人ニ付議員三十人ヲ撰挙スルヲ得ルト雖トモ荻野目村ハ人員七十余人、刈切村モ七十余人、北大和久村ハ三十余人、赤瀬村ハ二十人弱ニ付四ケ村トモ戸数十戸内外ノ村落ニテ一村毎戸主議員ニ挙ルモ僅々三人乃至六人ニ付毎村ニ会場ハ設ケ難シ、然リト雖トモ役場協議費ヲ議スルニ当リ、会議ノ意見ヲ問フトキ部内宿村ノ内ニ議員無ケレハ賦課法相立タス、学校費ヲ議スルニ小学区内宿村議員ノ意見ヲ問フモ又然リ、之ニ因リ大田原宿ヲ除ク外一村ニ付一人ノ議員ヲ撰挙シ、或ハ北大和久村ト赤瀬村トヲ組合セ一人ノ議員ヲ撰挙シ、部内宿村議員連合シテ役場費ヲ議決シ又小学区内宿村議員連合シテ学費ヲ議決スル等ハ大田原宿ニ一箇ノ会場ヲ設ケ町村会ヲ開クモノトシ、部内村々ヨリ議員ヲ撰挙為致可然哉、此段相伺候也

                                      戸長
    明治十三年三月十一日                           西海石邦三
    栃木県那須郡長 藤田吉亨殿
(大田原・第八四)

 これに対して、那須郡長は次のように回答してきたのである。
 
   (朱書)
  書面伺之趣毎宿村開会候儀ト可相心得候事
   明治十三年三月十一日
                               栃木県那須郡長 藤田吉亨
(大田原・第八四)

 すなわち、一村ごとに町村会を開催すべきであるとしたのである。
 のち同年四月、太政官布告第一八号を以て「区町村会法」が公布され、甲第一号を以て町村会規則を制定した。本県では、区町村法の公布で甲第一号は消滅し、区町村法第二条の規定により「規則ハ其区町村ノ便宜ニ従ヒ、之ヲ取設ケ」ることとなり、各町村で自主的に作成されることになったのである。
 こうして各町村に町村会が開設されていったのであるが、明治十六年(一八八三)二月時点における栃木県下の開設町村は一、一八三か町村、未開設町村は七五か村となっている。なお市域での町村会の開設状況は不明である。
 次に記すは大田原宿における町村会の報告書である。
 町村会開未開ノ町村及議員(明治十六年十二月三十一日現在)
 大田原宿 戸長役場
 町村数 五(大田原宿、苅切村、荻の目村、北大和久村、赤瀬村)
 開 大田原宿
 未開 荻の目村、苅切村、北大和久村、赤瀬村
 会類 町村会
 議員 定員十名、現員十名
 被撰挙権アルモノ 三五〇人
 撰挙権アルモノ  六〇〇人
(大田原・第八七)

なお明治十九年(一八八六)二月現在の大田原宿における戸長及び宿会議員は次のとおりである。
 戸長   山崎章
 宿会議員 北城直諒、土屋重善、益子甚四郎、川上直吉、田代太郎三郎、川上利一、高藤利貫、加勢熊次郎
                                         以上 八名
(大田原・第四五)