那須郡役所の設置に至るまでに、その前身としての郡衙が設けられ、県北の施政にあたっていたようである。日光県時代には佐久山宿福原知行所陣屋に仮事務所を設け、県北の事務処理を担当していたといわれるが、詳しい史料は見当らない。
明治五年(一八七二)、宇都宮県では、旧黒羽県庁跡に出張所を設けた。この地は、県東北部の中央にて、四方運輸の便がよいとの理由であったが、同年七月には、本庁との連絡が不便であるとして廃庁になっている(「栃木県史 史料編・近現代一」宇都宮県管轄地沿革)。
同六年(一八七三)、宇都宮県が廃されて栃木県に合併されると、翌七年、大田原・足利・宇都宮の三支庁が開庁された。大田原支庁の場合は宇都宮県当時は大田原宿囚獄掛出張所であったものを、人民の便宜のため、支庁の名称に改め、三名の官員を置いて、警察・囚獄の事務や各区より差出された諸願・届の処理を取り扱ったものである。大田原支庁は大田原宿小泉村に設置され、那須・塩谷両郡を管轄としていた(「栃木県史 史料編・近現代一」支庁相設候御届)。
支庁が大田原宿小泉村に開庁されたが、庁舎は老朽建造物であったらしく、そのため、第三大区・第四大区の住民により建築・献納の上申があり、それが受理されたことは、すでに記したとおりである。