郡庁舎の新築

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郡制施行に先立って郡庁舎の新築が行われた。郡庁舎は、前記のごとく、郡民協議の上、明治十三年(一八八〇)新築、執務が開始されたが、郡務は年々拡大して庁舎は狭あいとなり、位置もまた不便であったため、再び庁舎新築の議がおきてきたのである。
 
  郡庁舎建築献納願
                            那須郡大田原宿人民総代
                                      細小路孫八 外
                                         弐拾四名
右謹而奉願候明治九年本宿ヘ栃木県大田原支庁ヲ被置那須塩谷両郡ヲ御所管ニ被定当時人民ノ便ヲ蒙ムルモノ不少哉ニ奉存候続テ明治十一年郡区御改正直ニ郡役所御設置相成旧支庁ニテ郡務御取扱ノ処事務所御手狭ノ趣承知仕候ニ付宿内協議ノ上去ル明治十三年庁舎倉庫等悉皆新築献備仕度段出願御許可相成則仝年十一月中現今ノ庁舎ヘ御移転尓来仝庁ニ於テ百般ノ事務御執行ノ処追日郡治御拡張従テ庁舎狭隘ニテ御差支ノ儀ハ予テ乍心察仕候得共如何セン三両年来民間ノ困弊ノ折柄漸ク今日ニ立至リ候処愈々諸般ノ御便宜ヲ欠キ殊ニ位置偏隅ニモ御坐候間宿民一同協議ノ上新築仕度者敷地ノ場所并結構築造等ハ御指揮ヲ蒙リ費金凡三千円ヲ目途トシ速ニ成功献納仕度段協議相整候間何卒御許可被成下度惣代ヲ以此段奉願候也

   明治十九年九月十日
       若林長四郎
      (他二五名記名捺印)
  栃木県知事 樺山資雄殿
(大田原県税事務所所蔵文書)

 右の願書は翌二十年(一八八七)二月十四日に受理され、直ちに入札・着工している。敷地は、大田原宿字北町(現那須庁舎所在地)の民有地(菊地源七・平野弥平・津久井吉五郎・国井菊次郎・斎藤浅治郎・飯田せん・国井八郎・小山田徳治等所有)を大田原宿人民惣代が買上げた上で、栃木県に献地する形をとっている(大田原県税事務所所蔵文書)。

那須郡庁舎建築献納願 栃木県
(大田原県税事務所所蔵)

 着工当初の計画は左のとおりであるが、最終的には人民控所・門扉・通路などの設置が加わり、若干の変更があったようである。
    那須郡役所新築方法
  一金 弐百七拾円也
    是ハ敷地四反六畝弐拾弐歩買上ヶ代金壱反ニ付金五拾七円七拾七銭四厘強
  一金 五拾円也
    是ハ右地所置土敷均シ代金
  一金 弐千四百七拾壱円四拾七銭一厘
    是ハ郡庁舎改築費用悉皆
  一金 四拾五円〇四銭
    是ハ雪隠弐ヶ所費用悉皆
  一金 弐百五拾円也
    是ハ創業費及ビ開庁式費用
  合金三千〇八拾六円五拾壱銭壱厘
 前記のようにその後計画に変更があり、当初総工費三、〇〇〇円を目途にしたものが、三、六〇〇円前後になりそうになり、募金も不足がちであったが(郡庁舎建築献納之義ニ付再願、大田原宿人民総代外十一名、明治廿年十月廿四日、那須郡庁舎建築之義ニ付再願、大田原宿人民惣代外二名、明治廿年十月廿五日 大田原県税事務所所蔵文書)、委員等の苦心と努力の末、ついに明治二十年十二月六日落成献備の手続きがとられた(郡庁舎建築落成御届、明治二十年十二月六日 細小路孫八外三名、大田原県税事務所所蔵文書)。
 落成式は同年十二月十五日、午前一〇時に執行する旨関係各方面に通知されたのである。
 
  本郡役所新築落成候ニ付来ル明治廿年十二月十五日開庁式執行候間同日午前第十時参列スベシ
   明治廿年十二月九日
                               栃木県那須郡長 安藤小次郎 印
  戸長 神田貞殿
(大田原・第八五)

 その後、しばしばこの庁舎は増改築が行われ、郡制廃止後も那須地方事務所―那須庁舎などと改組・改称されながら、昭和三十九年五月までの七八年間、ときには郡制の中心として、ときには国・県の出先機関として、その職務を全うしてきたのである。