那須郡制の施行

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前記のとおり本県においては明治三十年七月一日をもって郡制施行となったが、これに先立って同年六月この準備に関する諸般の事務を処理し、郡会議員の町村への配当を決定した後、七月十二日に町村会において選挙を行う(「栃木県史 史料編・近現代二」)と同時に、大地主間の互選による議員選出を行った。しかし、一部町村では、町村会の定数に満たないために議員の選出ができず、最終的には、八月二十二日に全町村の議員が決定し、同年八月二十五日、臨時郡会が召集され、ここに那須郡会が正式に発足したのである(「郡制史」)。

那須郡役所・大田原税務所(「栃木県那須郡制史」)


那須庁舎・昭和28年(益子孝治氏提供)

 郡会は、町村会議員の選挙による議員が三分の二、地価一〇、〇〇〇円以上の土地を有する大地主間の互選による議員が三分の一とによって構成され、全体として、地主を中心とする地方有力者の支配ルートが形成されていたのである。また、郡制は、市町村と異なり、公法人としての性格が明確化されず、条例制定権についての規定や郡民の権利・義務について明記されていない。さらに、郡の参事会に町村事務の監督行政への参与権が認められたことは、地方有力者の町村行政への支配が保証されたといえよう(「地方自治」大石嘉一郎)。
 全体としては、郡制は、地方自治体というよりも「有力者支配の政治構造が法制的に支持されるとともに、かれらを全住民から切り離して国家体制内に吸収」(「地方自治」)して、官僚支配の末端機構としての機能をもっていたといえよう。
 初期郡会における本市関係の議員配当と当選者名は次のとおりである。
  郡会議員配当(明治三十年七月三日)
  区域           人員
  大田原町         一人
  西那須野村 野崎村    一人
  親園村 佐久山町     一人
  金田村          一人
(「栃木県史 史料編・近現代二」)

 郡会議員
 明治三十年(第一期 定員二五人)
 大田原町選挙区       渡邊渡
 西那須野村 野崎村選挙区  伊東喜一郎
 親園村 佐久山町選挙区   八木沢喜作
 金田村選挙区        藤田勇馬
(「郡制史」)