那須郡制の足跡

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三三年間の郡制期間中の、その功罪をあげるならば、特に教育・産業・土木・衛生などの面で多くの事蹟をのこしている。例えば、町村・郡農会の指導・奨励をはじめ、農業巡廻教師の設置(明治三十二年)や煙草・養蚕・林業・畜産の指導・奨励・治水・災害復旧工事の遂行・郡道の管理、看護婦の養成等などがあるが、これらについての詳細は他の編・章に譲りたい。
 この中で、特に特色のあるものを紹介すれば、「那須郡時報」・「栃木県那須郡統計書」等の発行と、本市に関係あるものとして、郡立高等女学校の設置であろう。
 (1) 「那須郡時報」の発行
 これは「郡治の振興を図り、其の実績を挙げむと欲せば、郡民をして一致協同、紀律を重んじ節制を尊び、克く私を忘れて公に殉うの精神を養い、地方自治の民たるに必要なる自治的訓練を与うる。」(「郡制史」)を目的として、大正三年(一九一四)五月、第一号を発刊し、以後、年四回、自治・教育・産業・衛生・その他の事項を掲載し、毎号一、〇〇〇部を印刷、郡内各戸に回覧したものである。現在では、各地方公共団体で公報を発刊しているが、当時としては画期的な事業であったといわれている。

栃木県那須郡制史

 いま、その第一号を見ると、全編一七〇頁におよぶ膨大なものである。冒頭にまず教育勅語、ついで戊申詔書、軍隊ニ賜ハリシ勅諭、憲法発布勅語、大日本帝国憲法などをおいたあと、郡長谷誠之が「那須郡時報発刊ノ趣旨」を記している。本文では、「栃木県ニ於ケル我カ那須郡ノ地位」・「各町村状況一班」に約一一〇頁を費し、雑録として、郡組織、各種議員、町村歳入出決算などについで、郡内各種団体の概況、統計・徴兵検査・保健衛生農事・税務など盛りだくさんである。全体として郡長が「我国民をして独り有事の忠臣たるのみならず、又平時に処して克く其義務を全し」と述べているように、上意下達の感が強いものである。
 この時報は、それなりに有意義なものであったが、経費出費が重なり、結局一二号で廃刊になっている。
 (2) 郡立高等女学校の設立
 那須郡の最も大きな事業であり、財産でもあったのが郡立高等女学校であろう。本校沿革の詳細については他の編に譲ることにするが、これは、すでに開校していた大田原町立実科高等女学校を発展的に解消して、明治四十五年十月、郡立高等女学校として開校、大正十二年、郡制廃止にともない県営に移管されるまで、唯一の郡立高等女学校として経営されたものであり、郡内外の女子教育に貢献した意義は、真に大なるものがあったといえる。