町村制の公布

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明治二十一年(一八八八)四月二十五日町村制が公布されたのであるが、この町村制は、これまで行われていた連合戸長役場制を、翌年三月三十一日限りで廃止し、新たに町村役場を設置し、その管轄下に解体された連合戸長役場の管轄下にあった宿村を収めて、町村をつくることにあったのである。町村には自治団体としての長である町村長が置かれ、歳費を決め、条例を制定する町村会が設けられた。同四十年(一九〇七)町村制の改正が行われたが、行政区画に変更はなく、昭和二十九年の町村合併によって大田原市が誕生するまでの、明治・大正・昭和の三代に及ぶ六五年間、町村役場は地方自治の中心をなしたのである。
 町村制の公布から明治二十二年四月一日の施行に至るまでの経過をみると、およそ次のようであった。
 同二十一年六月に内務大臣訓令によって町村合併の基準が決められた。それに基づいて、栃木県知事の県令または通達が出され、那須郡長の指導のもと、町村合併の準備が進められたのである。那須郡長より大田原宿外一か村戸長あてに通達された文書は次のとおりである。
 
  地第二三九号
                                           戸長
  町村制施行ノ件ニ付御用談有之候条来ル十一日午前第八時当庁ヘ出頭スベシ
   明治二十一年九月五日 那須郡長 安藤小次郎
(大田原・第四八)

 このような文書が各連合戸長役場に通達され、郡役所において町村合併準備のための会議が開かれたのである。十月になると、町村合併案が提示されたらしく、大田原宿外一か村戸長から那須郡長あてに異議のない旨の報告書を提出しているのである。
 
   町村制度施行区域諮詢会結果上申
町村制度施行区域諮詢会去ル二日当区域内有志者打合召集諮詢候処御諮問案ニ対シ聊畢竟無之候ニ付此段及上申候也

   明治二十一年十月五日                      那須郡大田原宿外一カ村
                                  戸長 神田貞
(大田原・第四八)

 このようにして、町村制施行の準備は着々と進められ、同二十二年三月十五日、栃木県令第一六号によって町村制施行が布達されたのである。
 
  栃木県令第一六号
  明治二十一年四月法律第一号町村制ヲ明治二十二年四月一日ヨリ施行ス
   明治二十二年三月十五日
                              栃木県知事 樺山資雄
(「栃木県史 史料編・近現代二」)