金田村分村の動き

139 ~ 143
新しい村として誕生した金田村は村域が広く、東西八・五キロメートル、南北一二・八キロメートル、面積五九・一八平方キロメートルもあり、親園村・野崎村・佐久山町の二倍、大田原町の五倍もあり、しかも核心となるべき集落のない村であった。明治十六年の連合戸長役場制の時代には、中田原村・練貫村・南金丸村・鹿畑村の四か村に戸長役場が置かれ、村域がほぼ四分され、同十八年の戸長役場制改訂には、既述のように村域が三分されている。したがって、村内の各大字の利害は必ずしも一致せず、相反することもみられたのである。
 同二十四年北金丸・南金丸・奥沢・鹿畑の四大字に囲まれた鐭鹿(おうか)原(のちの金丸原)の開墾をめぐり、対立がみられたのはその例であろう。
 
  第九六号
     内申書
当金田村大字南金丸、北金丸、奥沢地之那須郡第三御料地字鐭鹿原秣入会有無之義ニ付紛議相生候間、双方示談可致様夫々説諭及ビ候得共、終ニ示談相整ハズ、既ニ大字北金丸・奥沢ニ於テハ該地所畑開墾及植樹之見込ヲ以テ拝借出願相成、然ルニ大字南金丸ニ於テハ右拝借出願ニ対シ拒障申出候ニ付、尚示談可致旨申聞候得共、承諾致サザルニ付、不得止双方書面ヘ理由書ヲ添附シ進達仕候共、左ノミ差置ク間ハ不容易事件ニ立至リ既ニ各大字共将来之不利益不少、加之本村之治安ヲ害スル哉モ難斗ト思料仕候間、該紛議熟議相成候様懇篤御説諭相成下度此段内申候也

   明治二十四年八月二十二日
                                    金田村助役 福田随平
   栃木県那須郡長 安藤小次郎殿
(金田・第二一)

 また、同二十四年の村長選挙には政争のため村長の選出ができず、那須郡役所より職務管掌村長阿久津修斉(大田原町)が派遣されるというようなこともあった。このようなことを重くみた県では、次のような金田村分村案を提示したのである。
 
  那送人第三号
                                       大田原町役場
金田村大字南金丸外七字ヲ分割シ後記之町村ヘ合併スベキヲ以テ関係町村ヘ諮問之義知事ヨリ訓令有之候条其町会之意見ヲ聞答申スベシ

   明治二十六年一月七日
                                 栃木県那須郡長 安藤小次郎
     合併町村  分割大字
     大田原町  金田村大字赤瀬北大和久
     湯津上村  同 倉骨鹿畑奥沢上奥沢
     川西町   同 南金丸北金丸
(大田原・第九一)

 この問題について、諮問を受けた大田原町ではどのように決定したか、文書が残されていないため不明である。湯津上村では村会で合併決議はしたが、反対の世論も強かったことを「湯津上村誌」に載せている。
 当の金田村ではどうであったのか、村会議事録がないので不明である。しかし、次の文書は何を意味するものであろうか。
 本年法律第壱号ノ旨趣ニ拠リ中田原外十九カ村ヲ以テ一村ノ組織相成候、内前記南北両部ノ数村団結シ左ノ条項ヲ誓約ス。

一右町村団結ノ旨趣ハ議員ノ選挙並ニ役場位置及将来分離ヲ為スニアリ

一議員ノ選挙ハ南部ニ於テ七名北部ニ於テ五名都合十二名ヲ両部ニ於テ協議ノ上指名ヲ為シ共同選挙ヲ為スモノトス

一南北両部分離以前町村役場ノ位置ハ上奥沢村ヘ置クモノトス

一両部ノ分離ハ各自協議ノ上執行スルモノトス

一此旨趣ハ勿論会同議決シ条項ハ極テ秘密ヲ要スルモノトス

一此秘密ヲ他ニ漏洩シ或ハ此履行ニ妨碍ヲ与ヘントスルモノ若クハ此誓約ヲ脱盟セントスルモノハ両部ノ組織願ニ関スル実費即チ南部ノ費用拾三円、北部ノ費用金弐拾四円合計金三拾七円弁償セシムルモノトス

   但シ数 数人ニ渉ルト雖モ一人毎ニ金三拾七円ヲ弁債セシムルモノトス
一弁償金ヲ徴収シタル時ハ協議ノ上此レヲ処分スルモノトス

   右記ノ条項誓約候ニ付各自署名捺印スルモノナリ
   明治二十二年一月一日
                            南金丸惣代      殿生松治
                                       藤田勇馬
                            北金丸村惣代     菊地初右エ門
                            倉骨村惣代      郡司庄吉
                            北大和久村赤瀬村惣代 桜岡久馬
                            鹿畑村惣代      福田随平
                                       矢吹鉎太郎
                                       吉成幸三郎
                            奥沢村惣代      小山田直三郎
                                       磯与惣平
                            上奥沢村惣代     熊田治郎平
                                       郡司初太郎
                            市野沢村惣代     益子健吉
                                       相馬胤三郎
                            乙連沢村惣代     白井安吉
                            羽田村惣代      渡辺甚左エ門
                            北金丸村惣代     松本金太郎
(印南覚四郎文書)

 右の誓約文は町村制施行前の連合戸長役場時代につくられたものである。したがって、金田村の分村には賛成はしたであろうが、はたして懸案のような細分には賛成したのであろうか。また、この盟約に加わらなかった中田原村・町島村・荒井村・小滝村・練貫村・今泉村・岡村・戸野内村は当然反対したであろう。結局、金田村分村は実現することなく、胎動に終ったのである。