初期議会

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明治二十二年(一八八九)四月一日町村制施行とともに、戸長によって準備された町村会議員選挙原簿、選挙人名簿は関係者に縦覧され、そののち有権者によって選挙が行われたのである。大田原町においては次の人々が当選した。
若色良譲、益子甚四郎、田代太郎三郎、江連政盛、伊藤文平、川上利一、藤田吉亨、若林長四郎、滝田祗徳、阿久津忠武、北城直諒、津久井新一郎

(大田原・第四六)

 選挙後直ちに、元戸長の指示をうけ、当選した議員による初議会が開かれた。大田原町議会の様子を示すと次のとおりである。
 
  町長助役選挙会記事
明治二十二年四月二十七日午前十時十分大田原町々長並ニ助役選挙会ヲ旧大田原宿外一ケ村戸長役場ニ開ク(中略)。元大田原宿戸長神田貞曰く、諸君今日ハ誠ニ御苦労ナリ、兼テ御通知申上ゲシ町長及ビ助役ヲ選挙センガ為メニ諸君ノ御出張ヲ乞ヒシ次第ナリ、町長及ビ助役ヲ選挙スルノ手続ハ同条例中ニ見当ラズ、故ニ仮ニ県知事ノ訓示ニヨリ年長ヲ挙ゲテ議長トナシ選挙ノ順序ニ取運バン、異議ナクバカク定ムベシ、
一同異議ナキヲ以テ江連政盛年長議長席ニ着ク
七番(藤田)曰、聞ク所ニヨレバ県知事ヨリ準則ヲ達セラレント、果シテ然ルヤ
番外(神田)曰ク準則ハコレアリ今議長ニ呈シ朗読スルコトヽセン
書記(大島)準則ヲ朗読ス
議長(江連)曰、只今朗読セシ準則ヲ用フベキカ
七番(藤田)曰、今日ハ左程六カ敷コトモナカラント考エレバ発議丈之ニ則ルコトヲ望ム
壱番(若色)曰、七番ト同感ナリ
議長(江連)曰、他ニ異議ナキヲ以テ町長ヲ選挙スルコトニ致サンガ之ニ関シ意見アラバ陳述スベシ
五番(伊藤)曰ク本則ニ則ルヨリ外ニ意見ナシ、速ニ其手続ニ至ランコトヲ望ム
七番(藤田)曰、五番ト同感ナリ、而シテ助役ハ一名ヲ選ブ考ナリ
拾番(阿久津)曰ク五番ニ賛成ス
七番(藤田)曰、町長及ビ助役ハ番号ノミヲ記載スルコトニ致サン
拾一番(北城)曰、単ニ議員中ヨリ選挙スルニ非レバ姓名ヲ記スルヲ可ナリトス
五番(伊藤)曰、番号ニスルモマタ姓名ニスルモ深キ関係ハ無カランサリナガラ姓名ヲ記スル方却テ便ナラン乎
一番(若色)曰、番号ト姓名ト両ナガラ之ヲ用フレバ区々トナルヲ以テ煩雑ノ憂アリ、断然姓名ヲ記スルコト丶ナサン
議長(江連)曰、姓名ヲ記スコトヽ定メ町長ヲ選挙スベシ
投票ヲ検セシニ左ノ如シ
   六票  藤田吉亨
   五票  阿久津忠武
   一票  北城直諒
議長(江連)曰、藤田氏多数ニ付当選ス
七番(藤田)曰、投票半数以上ニ非レバ当選セシト云フベカラズ、猶思慮スルコトアルヲ以テ暫時ノ休憩ヲ望ム
五番(伊藤)曰、五番ハ至テ町村制ニ暗シ、熟読ノ上ニ致サン
拾一番(北条)曰、七番ト同ジク暫時休憩ヲ乞フ
議長(江連)曰、暫時休憩ス(以下略)

(大田原・第四六)

 休憩の後、再会された議会で、藤田吉亨が過半数を得て町長に当選し、続いて、助役選挙に移り、助役は阿久津忠武が当選したのであった。
 こうして初議会は終了し、直ちに議長によって県知事に町長と助役の承認願が提出されたのである。
 
    町長及助役認可之儀上申
       那須郡大田原町
  一町長      藤田吉亨
        同郡 同町
  一助役      阿久津忠武
右者本日元大田原宿戸長役場内ニ於テ大田原町長及助役選挙会開設候処前記之通当選相成候条御認可相成度此段上申候也

   明治二十二年四月二十七日
         右
                                       議長 江面政盛
  栃木県知事 樺山資雄殿
(大田原・第五〇)

これに対し、県より認可する旨の許可書が下りたのである。
 
 往第八、九九六号
  書面之趣認可ス
   明治二十二年五月四日
                                    栃木県知事 樺山資雄
(大田原・第五〇)

 大田原町初代町長となった藤田吉亨は、天保十年(一八三九)六月八日生れの旧藩士で、明治維新時には二五歳で大田原県少参事を奉職し、宇都宮県・栃木県の官員として勤め、郡制施行には那須郡長に就任している。さらに明治十八年六月からは栃木県会議員として活躍し、五〇歳で大田原町長に当選したのである。しかし、県会議員と町長という兼職のためか、同年八月二十九日で職を辞し、第二代町長阿久津忠武にその席を譲っている。在職四か月であった。
 大田原町以外の町村でも、大田原町と同じようにして初の町村会が開かれ、町村長が選出されている。親園村では元親園村外九か村戸長森与平が初代村長となった。野崎村では伊藤喜一郎が、佐久山町では原蕃次郎、金田村では益子健吉が、それぞれ初代の町村長として選出されたのである。
 このような初議会に続いて、第二回町村会が開かれている。大田原町では同年五月二十二日、光真寺を議場として開かれた。議長には町長が就き、町会会議細則、明治二十二年度歳出入予算、町税規則等の審議決定が行われ、最後に収入役・書記・付属職員が決められたのである。さらに七月二十六日の町議会では常設委員・区長が決められ、町の行政組織はできあがるのである。

町長,助役,町会議員停年名簿
(明治22年~昭和34年迄)

 明治二十六年各町村の行政組織は第1表のとおりである。
第1表 町村吏員・町村会議員その他
(明治二六年一二月三一日現在)
町村名町村長助役収入役書記常役委員区長町村会議員公民(有権者)現住戸数現住人口
大田原町四〇一八三三九九四七五、三四四
親園村一四二七八三八七二、九〇二
野崎村一四一一三五七四六〇三、〇三〇
佐久山町一一三一三四六七二、九九八
金田村二七一八七二六八〇四五、五二九
(「明治二六年那須郡統計書」)

 なお、町村制実施から大正末期までの歴代町村長は次のとおりである。
  大田原町長
   初代 藤田吉亨   明二二・ 四―明二二・ 八
   二代 阿久津忠武  〃二二・ 九―〃二五・ 一
   三代 若色良譲   〃二五・ 二―〃三〇・ 九
   四代 田代太郎三郎 〃三一・ 三―〃三二・ 四
   五代 大田原徳盈  〃三二・ 四―〃三六・ 六
   六代 藤田吉亨   〃三六・ 七―〃三九・一一
   七代 雨宮克    〃三九・一二―〃四一・ 三
   八代 小口融四郎  〃四一・ 三―〃四二・ 四
   九代 安藤直一   〃四二・ 五―〃四四・ 三
  一〇代 久利生松雄  〃四四・ 四―大 二・ 五
  一一代 大橋直次郎  大 二・ 五―〃 五・ 六
  一二代 阿久津透   〃 六・ 一―〃一〇・ 一
  一三代 若林五郎平  〃一〇・ 一―〃一三・ 六
  一四代 川上保太郎  〃一三・ 六―昭 三・ 六
  親園村長
   初代 森与平    明二二・ 四―〃二六・ 五
   二代 荒井規矩   〃二六・ 五―〃三〇・ 五
   三代 伴栄三郎   〃三〇・ 五―〃三四・ 五
   四代 藤田利平   〃三四・ 五―〃三五・ 八
   五代 高橋安誉   〃三五・ 八―〃三九・ 八
   六代 関谷倉次郎  〃三九・ 八―〃四二・一二
   七代 高瀬弥八郎  〃四三・ 一―大 九・ 一
   八代 荒井規矩   〃一〇・ 一―〃一四・ 一
   九代 小沼延治   〃一四・ 二―〃一五・ 三
  一〇代 越井金市   〃一五・ 三―昭 九・ 三
  金田村長
   初代 益子健吉   明二二・ 四―〃二四・ 三
   管掌村長
      阿久津修斉  明二四・一一―〃二五・ 三
   二代 真野隆春   〃二六・ 五―〃二七・ 七
   三代 松田正義   〃二七・ 七―〃三一・一〇
   四代 矢吹鉎太郎  〃三一・一〇―〃三五・一二
   五代 渡辺六郎   〃三五・一二―〃三六・一〇
   六代 藤田勇馬   〃三六・一〇―〃三七・ 五
   七代 斎藤英林   〃四五・ 五―大 五・ 五
   八代 渡辺六郎   〃大五・ 五―〃 九・ 五
   九代 藤田勅之助  〃 九・ 五―昭 二・ 四
  野崎村長
   初代 伊東喜一郎  明二二・ 五―〃三〇・ 五
   二代 渡辺勇三   〃三〇・ 五―〃三三・一〇
   三代 手塚又平   〃三三・一〇―〃三五・ 八
   四代 蛭田儀平   〃三五・ 九―〃三八・ 五
   五代 長島冨三   〃三八・ 六―〃三九・ 一
   六代 大貫初一郎  〃三九・ 一―〃四〇・ 三
   七代 蛭田初太郎  〃四〇・ 三―〃四一・一〇
   八代 中山菊次郎  〃四一・一〇―大 一・一〇
   九代 小野崎正雄  大 一・一〇―〃 五・一一
  一〇代 蓮見佐太郎  〃 五・一一―〃一三・一一
  一一代 相沢猛    大一三・一一―昭 四・ 七
  佐久山町長
   初代 原蕃次郎   明二二・ 四―〃二六・ 二
   二代 福原伊八郎  〃二六・ 三―〃三四・ 一
   三代 原蕃次郎   〃三四・ 二―〃大二・ 三
   四代 戸村甲子三郎 大 二・ 四―昭一二・ 四