町村合併促進審議会の設置

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県は町村合併促進法の制定に伴い、知事の付属機関として昭和二十八年十月三日「栃木県町村合併促進審議会設置条例」を制定公布、委員三六名をもって同審議会を設置、同審議会は知事の諮問に応じて町村合併に関する計画の策定について調査審議するとともに、町村合併についての啓発宣伝を行うことを任務としたのである。
 県は同審議会の活動と並行して同年十一月九日から同年十二月十九日まで、県下一六五町村に職員を派遣して町村合併の基礎調査を行い、財政の実態とともに町村合併の動向をさぐり、町村合併に関する資料の蒐集を行った。
 町村合併に対する世論が漸次高まるにつれて、町村合併の問題は各市町村とも重大な関心事となり、その当局者間においても合併の是非が盛んに論議されつつあったが、市町村側の態度は合併に日和見的懐疑的なもの、都市と農村、町と村の合併に非をならすもの、あるいは都市と農村との合併をもって理想的な広域行政圏であり、経済活動の範囲と自治体の区域を一致させるものであるとして賛成するもの、又は自町村を中心として他町村の一部を抱き込んでみずからは安泰をかち得んとするもの、そうかと思えば那須郡一円とか、安蘇郡一円とか、芳賀郡一円とかいうような大合併を叫ぶもの等もあって、その帰一するところを知らない状況であった。
 以上のような状況に十二月二十二日県下市町村長会議が県庁で開催され、県は町村合併を積極的に促進する所存であるので、町村長会においても謙虚な気持ちで真剣に検討を加えられ、一般住民に対しても冷静で正しい理解と判断の力を持つよう積極的な措置を講ずるよう要望した。
 また町村合併促進法施行以来、市の設置が全国的に一つの風潮となり、町村合併が市の設置の形をとって著しく進められるような傾向にあった。特に市の設置要件である人口の基準が三万人から五万人に引き上げられるというので、それ以前に合併の機運にのり、合併して市を造ろうということになったのもあるようで、当時自治庁においては町村合併の趣旨は弱少町村を解消して、全国的に均衡のとれた町村を造ることにあるのであるから、その結果ないしその過程において市が造られることがあっても、その実体が不都合でなければこれを拒む理由もないし、地方自治法の解釈が許すならばこれを容認することをその取扱いの方針とし、現地の一致した要望と意志とを遂げさせることとされ、市となるべき要件を緩和して解釈するとの態度をとったのである。