知事は第一次試案に関する中間報告を受けるや、第一次試案の線に添って現実に合併の実現することを期待する旨の通達を関係市町村に発するとともに、合併計画図等を作成してあまねくこれを公表し、市町村当局及び議会関係者が大乗的見地に立ち第一次試案の線に添って合併すべきかどうか、合併の時期方法をどうするか等合併の基本的態度について検討すべきことを強く要望したのである。
決定をみた第一次試案によると、五市一六五町村を八市四八町村に減少し、合併後の一町村平均人口を二二、四四一人と予定するものであったのである。
町村合併計画第一次試案における那須郡関係町村の合併案は、第1表・第1図のとおりである。
第1図 町村合併計画第一次試案区画図(「栃木県町村合併誌」第1巻)
第1表 那須郡関係(昭和二九年二月二二日 栃木県町村合併促進審議会決定)町村合併第一次試案 |
新町村数 | 合併予定町村名 | 人口(人) | 面積(平方粁) | 備考 |
32 | 大田原町 | 一五、八六四 | 一二・二〇 | |
金田村 | 一三、五四八 | 五九・二〇 | ||
計 | 二九、四二一 | 七一・三〇 | ||
33 | 親園村 | 五、三一七 | 二二・五〇 | |
野崎村 | 五、九六九 | 二四・七〇 | ||
佐久山町 | 五、三四九 | 二三・九〇 | ||
計 | 一六、六三五 | 七一・一〇 | ||
34 | 川西町 | 六、六三二 | 一八・八〇 | 湯津上村の一部は、黒羽町に編入することも考えられる。 |
黒羽町 | 八、三三二 | 五三・二〇 | ||
須賀川村 | 五、四二七 | 七一・六〇 | ||
両郷村 | 四、七九七 | 四三・四〇 | ||
計 | 二五、一八八 | 一八七・〇〇 | ||
35 | 伊王野村 | 六、七四〇 | 六九・九〇 | |
芦野町 | 四、八〇一 | 四四・六〇 | ||
那須村 | 一九、七〇〇 | 二五七・五〇 | ||
計 | 三一、二四一 | 三七二・〇〇 | ||
36 | 鍋掛村 | 四、三八四 | 三二・一〇 | |
黒磯町 | 一〇、九五二 | 二七・一〇 | ||
東那須野村 | 七、五七三 | 三五・一〇 | ||
高林村 | 六、八三八 | 二五一・〇〇 | ||
計 | 二九、七四七 | 三四五・三〇 | ||
37 | 狩野村 | 一〇、二一四 | 二四・三〇 | 箒根村の一部は、狩野村に編入することも考えられる。 |
西那須野町 | 九、七八九 | 三七・二〇 | ||
計 | 二〇、〇〇三 | 六一・五〇 | ||
38 | 下江川村 | 八、八四一 | 四一・九〇 | 下江川村の一部(大字志鳥の一部)は、小川町に編入することも考えられる。 |
荒川村 | 七、七〇九 | 三八・七〇 | ||
計 | 一六、五五〇 | 八〇・六〇 | ||
39 | 向田村 | 四、五八六 | 一五・二〇 | 七合村の一部(大字白久、谷田)は、小川町に編入することも考えられる。 |
境村 | 七、〇八七 | 四九・四〇 | ||
烏山町 | 一〇、九三九 | 五・五〇 | ||
七合村 | 六、五二八 | 二七・一〇 | ||
計 | 二九、一四〇 | 九七・二〇 | ||
40 | 小川町 | 八、五八四 | 三八・一〇 | (一)下江川村の一部(大字志鳥の一部)及び七合村の一部(大字白久、谷田)は、小川町に編入することも考えられる。 |
湯津上村 | 七、七九九 | 三二・八〇 | ||
計 | 一六、三八三 | 七〇・九〇 | (二)湯津上村の一部は、黒羽町に編入することも考えられる。 | |
41 | 武茂村 | 三、九六七 | 二四・〇〇 | |
馬頭町 | 一〇、二一三 | 四八・二〇 | ||
大内村 | 四、〇五四 | 三九・三〇 | ||
大山田村 | 四、八〇〇 | 四〇・三〇 | ||
計 | 二三、〇三四 | 一五一・八〇 |
審議会は「昭和二十八年度町村合併促進啓発指導計画」に基づき、県と一体となって十二月初旬から中旬にかけて各委員等が手分けをし、各郡ごとに市町村の主要公職者に対する町村合併の説明会を開催した。那須郡における実施の状況は次のとおりである。
日時 昭和二十八年十一月二十四日
出席者 各町村長、各町村議会議長
栃木県議会議員 島田藤五郎
同 大町里由
栃木県地方課長 大谷操
同 行政係長 小塙憲司
会議の状況
1 郡単位の合併促進審議会を設けることを決定し、会長、副会長、参与の選挙を行い今後右審議会において合併問題を検討することを申し合せた。
2 北那須郡下町村全部を合併して、大那須建設の構想など合併に対する真剣な意見の検討がなされた。
(「栃木県町村合併誌」第一巻)