大田原町の合併までの経過

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大田原町においては、町村合併促進法施行以来国・県の強力な行政指導と相俟って、住民の町村合併への関心もしだいに高まり話題を呼んできた。町においてもこれに対処するため、議会とも緊密な連けいをとりつつ協議を重ね、昭和二十八年十二月八日議員全員をもって町村合併に関する調査研究のため「合併調査委員会」を設けて慎重審議を重ねるとともに、近隣町村の合併についての情報の収集につとめたのである。
 一般住民に対しても、町村合併の必要性は、効果、手続等について公報やパンフレットを発行配布して啓もう宣伝につとめるとともに、町民各層の合併に対する声を聞くため、二日間三回にわたって商業・工業・農業、そしてまた青年団・婦人会・労組・俸給生活者・部落会等の各代表者に学識経験者を加えて公聴会を開催した。
 この間、県においても町村合併の重要性を強調するため、その一つとして論文募集を行ったが、大田原町より森豊の「町村合併は何故必要か」が三等に入選表彰された。
 以下は八回にわたって開催された合併調査委員会の経過の概要である。
第一回合併調査委員会 同二十九年二月五日
 県、郡の合併試案等を慎重に審議検討した結果、次の五案を決定した。
 第一案 狩野村、西那須野町、大田原町
 第二案 金田村、大田原町
 第三案 親園村、大田原町
 第四案 大田原町、金田村、狩野村、西那須野町、親園村の一部
 第五案 大田原町、親園村、金田村、狩野村、西那須野町、湯津上村の一部
第二回合併調査委員会 同年三月四日
前回の合併五案、県、郡の試案等について協議がなされたが、直接町民の声を聞くため一回五人三回にわけて都合一五人の代表をきめ、三月十二日と十三日の公聴会を開くことをきめた。

 公聴会においては次のような意見が各代表から出された。
 イ 農村地帯との関係をどうするか
 ロ 市制施行の可否
 ハ 大田原を中心とした都市の建設
 ニ 合併の範囲
 ホ 現状維持
第三回合併調査委員会 同年三月十七日
合併問題について近隣町村の意向を知るため三月二十二日親園村、三月二十三日金田村、三月二十四日西那須野町・狩野村との合併懇談会開催の申し入れを行うことをきめる(その結果はいずれも結論は出ず)。

第四回合併調査委員会 同年四月八日
 西那須野町・狩野村との三町村合併、市制施行の方針が強く出された。
第五回合併調査委員会 同年四月十七日
市制を施行する場合には県議会の関係上、西那須野町及び狩野村との合併を早急に進める必要を認め、且つ、野岩羽鉄道誘致のためにも好都合であるとの結論に達したので、緊急に四月十八日三町村の代表者会議を開催することを申し合せた。
(四月十八日の代表者会議は市庁舎の位置については妥協を見たが、新市名等については朝に至るも意見の一致を見ず、三町村の合併は一応白紙にもどすことになった。)

第六回合併調査委員会 同年五月十一日
町民に対し現在までの合併問題の方針経過等についての報告会を、五月十三日大田原小学校講堂において開催することを決定した。

第七回合併調査委員会 同年六月十二日
合併問題について来る六月二十二日金田村、六月二十四日親園村と懇談することをきめた。
(金田村との懇談会は意見の交換に終り結論は出ず、親園村との懇談会も佐久山ブロックとの問題もあり、結論は出なかった。)

第八回合併調査委員会 同年七月五日
金田村・親園村との合併市制施行推進の方針が強く出された。
以上により、七月八日午前午後にわたって金田村・親園村と懇談を重ねた結果、三町村合併市制施行の方針で、来る七月十二日三町村の合併懇談会を開くことにいずれも同意したのである。

 七月十二日大田原町において、大田原町・金田村・親園村三町村の合併懇談会が開催され、正式に三町村の合併と市制施行を決定した。なお同時にその準備のため助役を中心とした合併事務打合会を設けることになったのである。
 以上の結果をふまえて七月、五日間にわたり、町長・議会側が出席して、町内各部落において座談会を開催し、町の方針と経過について詳しく説明し、町民の理解と協力を求めたが、特に反対論もなく賛同を得ることができた。
 かくして一時合併の寸前までいったと思われた狩野村・西那須野町との合併はついにその実現を見るに至らなかったが、一転して金田村・親園村との合併が同意され、同年八月二日三町村同時に開会された議会において「大田原町・金田村・親園村合併促進協議会の設置について」と「合併促進協議会委員の選任について」の議案が各町村とも全会一致をもって可決され、合併にむかって具体的な一歩を踏み出すこととなったのである。
 次いで前協議会の審議の結果に基づき、議会は同年八月二十八日の臨時会において、正式に三町村の合併を議決するに至ったのである。