昭和二十九年三月七日金田北中学校において村内各種団体の役員約二五〇名の参集を求め、第一回の合併協議会を開催し、合併に関する調査、資料収集を行うため合併研究会を設けた。
四月二十日 第二回研究会
経過報告について協議
四月二十四日 第三回研究会
県の第一次試案(大田原町・金田村の合併)の線に沿って合体合併をすること。他の場合は改めて研究することとする。
六月二十六日 第四回研究会
大田原町・金田村・親園村合併の線が出る。このため関係町村への交渉委員一〇名を選出。
七月二十八日 第五回研究会
正式に大田原町・金田村及び親園村合併促進協議会を設けることを決定する。この決定に基づき三か所において村民大会を開催することをきめた。
一般住民に対しても広報車による巡回放送、又あらゆる機会をとらえて合併に対する構想経過を報告して啓もう宣伝に努めた結果、村民大会はいずれの会場においても三町村合併が万場一致決議された。
この間大田原町・親園村ともしばしば懇談を重ね、本村より合併市制施行の場合、農業振興については十分配慮するようにとの要望がなされたが、七月十二日の三町村合併協議会において合併の実現をはかることになった。
議会においても前述の合併協議会、研究会及び関係町村との懇談会等の結果について慎重審議を重ねた結果、三町村合併の結論に達し八月二日関係町村と同様臨時村議会を開会し、正式に三町村合併促進協議会の設置と委員の選任を定め、八月二十八日合併の議決を行ったのである。