親園村の合併までの経過

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昭和二十九年三月十一日、村長を会長とし、議員・各種委員・団体の代表者百十数名をもって町村合併促進懇談会を組織し、全村一体となって合併問題の処理に当ることを決定し、またこれらの団体の長をもって合併小委員会を設け細部の審議を行うこととした。その席上村長は同二十八年十一月二十四日、那須郡の町村長をもって組織する那須郡町村合併審議会の状況と経過を説明するとともに報告したが、その概要は次のとおりである。
 昭和二十九年二月二十二日佐久山町長並びに正副議長が来村し、佐久山町・野崎村・上江川村の一町三か村のブロック合併を佐久山町議会が決定したこと、同年三月四日大田原町助役及び正副議長が来村し、大田原町議会は親園村と合併したい旨を告げた。
 三月二十三日開催された第二回合併促進懇談会において、町村合併の啓もうと部落の意向を聞くため、四月一日より順次部落座談会を開くことを決めた。
 部落座談会においては次のような意見がみられた。
 佐久山ブロック説と大田原町合併説とが出されたが、その後しだいに大田原町合併説が有力となってき、各部落とも共通の意見として①合体合併をすること、②どこの町村と合併するにしても分村せず一体となって合併すること。以上の点が明瞭となったので、四月八日開かれた第三回合併懇談会においてこの方針で合併を進めることを決定した。
(「栃木県町村合併誌」第三巻上)

 親園村議会はこうした村内の町村合併の動きに対応して、同年二月二十三日の全員協議会においても、村民の意向をきき、全村一体となって合併するとの結論に達し、この方針に基づき次のように関係町村と精力的に懇談を重ねたのである。
 二月二十七日、佐久山地区一町三か村合併懇談会。
 四月九日、大田原説・佐久山ブロック説について野崎村と懇談。
 四月十二日、佐久山地区ブロック懇談会。
 四月二十日、野崎村議員代表来村懇談。
 四月二十二日、佐久山地区ブロック懇談会。
 六月二十一日・同二十四日、大田原町議員代表と懇談。
 七月八日、佐久山町及び野崎村に対し、大田原町より合併の申入れがあったことを正式に通知する。
 七月十二日、大田原町において大田原町・金田村及び本村議会代表懇談会が開催され、三町村合併の協議がととのった。
(「昭和二九年度大田原市合併関係綴No.1」、「七月一二日三町村合併懇談会会議録」)

 この間、佐久山町・野崎村を加えるよう意見も出たが以上のような経過をへて、八月二日開かれた議会臨時会において、三町村合併促進協議会の設置と同委員の選任を決定し、続いて同月二十八日に合併の議決を行ったのである。