以上のような県及び郡の合併案を基に町村合併を推進するため、町は昭和二十九年二月二十三日「佐久山町町村合併推進委員会」を組織し、またその代表者による「実行委員会」を設置して、合併に関する情報の収集と調査研究をすすめた。なお町民に対しては合併に関する啓もう宣伝に努めるとともに、部落一八か所において座談会を開催、ついで町民大会を開いて、広く町民の理解と協力を求めた。
この間町当局と議会は関係町村としばしば協議懇談を重ねたが、前記佐久山ブロックの合併を主張するもの、また大田原市との合併を希望するもの等の意見が出され、なかなか結論を見出すことができなかった。かくして委員会を開くこと一二回におよび、同三十年二月十八日に至って、ようやく大田原市への合併を決定したのである。
議会はこれらの状況をふまえて、同三十年三月二十八日の第六五回の定例議会において、全会一致大田原市への編入合併を議決したのである。
大田原市と佐久山町との合併については、合併促進協議会を設置することなく、双方それぞれ一〇名の議会議員をもってこれに代る合併処理委員会を設け、同三十年十月十日開催された委員会において、次のとおり決定を見た。
1 佐久山町議会議員は任期又は定数の特例を設けることなく、全員合併の日をもって失職する。
2 合併の日は昭和三十年十一月五日とする。
その他の事項は先の大田原町、金田村及び親園村との合併の場合と同様である。
(「栃木県町村合併誌」第四巻)
佐久山町,大田原市へ編入の栃木県公報
(昭和30年10月28日)
以上のように佐久山町は、同三十年三月二十八日大田原市との合併を議決したのであるが、たまたま同年四月三十日町長・議員が改選となったので、同三十年九月二十六日前議会の大田原市への合併議決の再確認の議決を行った際、これに反対する一部の議員がその議決手続きに違法があると、町議会を被告として、十月三日宇都宮地方裁判所に議決無効確認の訴訟を提起した。その後右合併処分を行った知事をも被告として約七か月訴訟が継続されたが、県や関係者の努力の結果、同三十一年五月三十日、本訴訟は円満解決し訴訟は取り下げられるという一幕もあった。