西那須野町加治屋地区の大田原市編入

236 ~ 238
昭和二十八年十月一日町村合併促進法の施行以来、県内においては町村合併が促進され、一時は大田原町・西那須野町・狩野村の合併が成るかと思われたが、ついにその実現を見ることなく不調に終り、同三十年二月十一日西那須野町と狩野村とが合併して新しく西那須野町として発足した。
 こうした経過の中にあって、西那須野町加治屋地区はかねてから、次項の請願書にあるような理由に基づき、部落をあげて大田原市への編入を希望し、新しく発足した大田原市、西那須野町に対し境界変更の請願陳情を続けた。その結果、同町においては種々の理由で大田原市への編入に難色を示していたが、ついに地区住民の熱望を容れることとなり、同三十年三月九日の西那須野町議会において大田原市編入の境界変更を議決したのである。これを受けて大田原市議会も同年三月十九日これが受入れを承認し、ここにおいて両市町はこれを県に申請、県議会もまた同年三月十九日全会一致でこれを可決したのである。
 ここにおいて加治屋地区は同年四月一日境界変更によって大田原市に編入され、新たに町名を大田原市加治屋として、かねての希望どおり大田原市編入が実現されたのである。
 
    (別項)
    加治屋地区の大田原町編入の請願書
      請願書
   私達は那須郡西那須野町字加治屋区の部落会長并に部落の委員である。
 町村合併促進法が施行せられ、栃木県下に於ても該合併促進法に基き、合併町村が随所に実現せらるるや、私達は大田原町の西端にあり、農産物の集荷并に日用品の購入、学童の通学等凡て大田原町に於てなしたる関係上全部落の殆ど凡ては大田原町農業協同組合の組合員となり、同組合の集荷農業倉庫亦本部落内に建設せられ、地理的并に教育的に見ても亦其の他諸般の状勢を客観的に見ても、西那須野、狩野其の他の町村が合併する際に於ては、親元である西那須野町より分離して、新たに合併に因って発足する大田原に合併することこそ尤も第三者から見て妥当なりと信じ、親元である西那須野町に対して別紙陳述の請願書を提出しましたが、本日右請願書の写を添へ大田原町、親園村、金田村に対し境界変更の上本部落合併の御決議を得度く茲に請願をする。

    昭和二十九年拾月
     那須郡西那須野町加治屋区
                                   部落会長  布川丈作
                                   委員    石橋政治郎
                                   委員    斉藤敏雄
                                   委員    前田貞雄
                                   委員    古谷健治
                                   委員    星野寿
                                   委員    山本幸次郎
                                   委員    日尾正治
                                   委員    木下米次郎
大田原町長 益子万吉殿
    加治屋区編入の県告示
  栃木県告示第二百四号
 地方自治法第七条第一項の規定により、昭和三十年四月一日から那須郡西那須野町八十三番地の一から九十九番地の二十六までの区域を大田原市に編入する。

   昭和三十年三月二十三日
                                 栃木県知事   小川喜一
(「昭和三〇年度大田原市合併関係綴No.1」)