かくして、昭和三十二年十二月十四日、未合併町村に対する最後の手段ともいうべき内閣総理大臣の合併勧告が、大田原市と湯津上村の双方に対して行われた。同時に県は大田原市と湯津上村の住民に対し、未合併町村の不利益処分を受けないよう、勧告に従って速やかに合併を行うよう、チラシによる宣伝を開始したが、湯津上村は十二月十七日議会においてこれが拒否を議決した。他方大田原市も湯津上村も県に負けず、双方のはげしいチラシ合戦を展開した。特に大田原市は県のいう未合併町村にあらずの回答を、自治庁に求めるという一幕もあった。