地券発行

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明治五年(一八七二)二月、「田畑永代売買禁止令」がとかれ、土地の所有権を認める地券が交付されることになった。いわゆる壬申地券の発行である。
 これに伴って、明治六年三月十日には、
 
那須郡福原ニ仮署ヲ設ケ官吏派遣シテ、地券検査ニ従事セシム、其署榜示シテ地券取調出張所ト云フ。

(「栃木県史 史料編・近現代四」)

 とあるように、佐久山地区福原に地券取調出張所が設けられ、小属小松繁らが役人として派遣されたのである。そして「出張所処務手続及心得書」に従って、地券が土地の所有者である農民などに交付されたのである。
 この場合、その帰属をめぐって争っていた入会地(「前編」第一一編第一章参照)などは、その帰属が決まるとともに、このような入会地は「公有地」として地券が発行されている。

地券之證(市指定文化財)

 明治六年七月「地租改正条例」が布告され、同八年には佐久山宿に地租改正派遣官員仮出張所が設けられた。その指示に従って地押丈量が行われたのである。
 
今般地租御改正ニ付御布達並例規ニ照準シ戸長副担当人ニ於テ毎筆地主立会地所丈量切絵図相製猶精密毎地地引帳簿取調簾落残歩隠田等決テ無御座候処右地引帳之通且村々戸長副相互ニ立会境界釐正別紙地引絵図之通相違無御座候依之連印進達仕候以上

   明治九年第十月第三大区八小区那須郡宇田川村
           担当傭伊藤要吉(他四人略)
           担当人増渕儀平(他四人略)
           副戸長藤田利平(他二人略)
           戸長 渋江善作
                (以下略)
(宇田川文書)

 のち明治十一年新地券が田畑宅地等に交付され、同十三年になって山林に地券が交付されて地租改正は終るのである。
 しかし、地券発行はその後も開墾などの地目変換に伴って発行され、明治十九年の土地台帳施行まで続けられたのである。