松方デフレーションと農村の変容

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明治十四年(一八八一)十月の政変で大蔵卿となった松方正義が、デフレーション政策をとると物価は下落し、金づまりのため農村は大きく変容していくのである。
 蛇尾川の左岸に広がる農村の、明治十一年から同二十一年に至る耕地所有の変化を見ると、二町五反(二・五ヘクタール)以上の農家が五軒から七軒に増加した反面、一町歩(一ヘクタール)未満の農家が零から六軒に増加しているのである(第1表)。
第1表 蛇尾川左岸の村耕地所有変化
農家明治11年明治21年
番号町 反 畝町 反 畝
13・9・44・5・5
23・2・23・8・5
32・8・13・0・1
42・7・62・8・1
52・5・42・5・4
 
62・0・12・6・1
72・3・42・5・9
82・2・62・2・6
92・0・82・2・0
101・8・92・0・8
 
112・2・71・9・5
121・9・61・8・0
132・1・11・7・6
142・0・81・7・3
152・0・71・6・3
 
161・6・81・7・6
171・7・31・7・9
181・7・11・8・4
191・8・31・9・0
201・7・81・9・0
 
211・3・41・6・9
221・4・01・5・5
231・6・91・5・4
241・6・21・5・2
251・5・91・5・2
 
261・8・81・4・8
271・5・21・4・3
281・5・91・3・6
292・2・41・3・4
301・5・81・2・6
 
311・2・61・2・2
321・4・49・1
 
332・1・54・3
341・7・25・1
351・5・37・0
 
361・5・12・5
371・2・90
(「改正地引帳」より作成)

 このように松方デフレーションは、農村の階層分化を推し進め、上層富裕農の増加と下層貧農をつくり出した時期であったようである。
 当時の状況を、大田原戸長役場から那須郡長に宛てた「報告書」は次のように記している。
 
     民間ノ状況
一 勤倹否ヲ概称スレバ富者ハ専ラ勤倹ノ主義ヲ採リ、貧者ハ稍々懶惰ノ風ニ流ルヽノ姿アリ、故ニ富メルモノハ倍ニ富ミ、貧ナル者ハ日々ニ貧窶ニ陥ルノ傾キアリ

(大田原・第四九)