農村不況と農村更生

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昭和二年の金融恐慌に続く同四年の世界恐慌は、農村に深刻な影響をもたらした。米麦・繭・煙草などあらゆる農産物は暴落し、親園村では農家一戸平均一、〇九五円の負債が生じたと記されている。
 このような農村の疲弊に対して救農対策の一つとして計画されたのが農山村経済更生計画である。親園村と野崎村は昭和七年、金田村は同八年、佐久山町は同十一年に計画が立案されたのであった。それらのうち、「野崎村自力更生計画」によると、次のような対策が立てられたようである。
 
  一、経済更生部
   (一) 経済更生委員部
    イ、一銭貯金=十一月一日ヨリ毎戸一銭ツツ貯金シ向フ五ケ年間据置トナスコト
    ロ、児童たまご貯金=十一月一日ヨリ毎日鶏卵一ケツツヲ貯金シ満二十歳迄据置トナスコト
   (二) 精神更生委員部
     各大学毎ニ早起及更生気分ヲ増進セシムル為合図ヲ為スコト(青年団受持トス)
  一、産業振興部
   (一) 農業経済改善委員部
    ハ、水田裏作ノ増殖=一戸当リ小麦一反二畝歩、大麦八畝歩以上ヲ作ルコト(イロ略)
   (二) 講買販売改善委員部
    イ、肥料ノ共同購入ノ普及 ロ、米麦共同販売ノ斡旋 ハ、繭ノ共同販売斡旋
   (三) 肥料改善委員部
     自給肥料ノ増殖=毎年数回堆肥積込刈草週間ヲ設置シ一千貫以上自給肥料ノ増殖ヲ計ル
(大田原・第八九)

 また、一方では窮乏化した農民を救済するため、「失業救済農山漁村臨時対策費」や「時局匡救土木事業費」などが政府より支出され、各地で道路工事などが行われたのである。
 しかし、同九年の冷害は凶作となり、農家は飯米にもこと欠くような状態におちていくのである。
   飯米や肥料代の犠牲となって
 乙女七名が身売り、想像外の県北凶作地
 去る二十三日○○町附近の某村大字から七名の娘が飯米や肥料代の犠牲となって愛知県一宮町の紡績会社へ一名三十円又は五十円の前借で身売りをしたが○○駅午後六時二十分発の上り列車に泣く泣く乗り込んだ娘を見送って待合室に泣き崩れた老母もあったには見る人皆涙であった。

(「下野新聞」昭和一一年二月二七日付)

 このように農村の生活状態は目を覆うものがあった。政府は飯米のない農家に政府米を払い下げようとしたが、農民にはそれを買う金も持ち合せなかったのである。そのため凶作応急土木事業を行い、その労賃のかわりに米を渡したのである。金田村では四六七戸の農家が政府米の払い下げを希望して、玄米一、〇三六俵(約六二・二トン)の米が農民に渡されているのである。
 しかし、これとても農村更生の根本的解決にはつながらなかったのである。