同二十七年八月十七日佐久山町甲第三一号で「普通水利組合設置之儀具申」が栃木県知事宛に提出された。その中に名称を「御用堰普通水利組合」とすることと、そして水利組合設置の理由として次のような事柄を挙げているのである。
右用水ハ旧佐久山藩城囲堀及ビ人家並ビニ消防ニ専ラ使用シ為メ旧領主ニ於テ野崎村大字豊田字鷺坂ニ堀口ヲ設ケ開鑿シ年々修築諸懸ヲ旧領主ニテ夫役ヲ使用者ニ於テ致来リ候処該水路之北側ニ畑及ビ原野等数拾町歩アルヲ追々田ニ変換開墾シタルニ依リ維新後更ニ賦課方法ヲ該水利ニ関係アル反別地価戸数営業等ニ割合来リ候ヘドモ明治二十二年町村制実施以来其方法ノ不都合ヲ唱エ事務取扱上差支候ニ付普通水利組合設置致度候間御認可相成度絵図面相添此段上申候也
(佐久山・第一〇三)
これに対し、那須郡長より九月十一日に、創立委員を佐久山町長として、水利組合を作ってよいという訓令が出されている。そこで九月二十九日「組合規約案」を作り、組合員総代会において審議し、県に提出した。その結果、組合規約が認可され、水利組合として運営されていくのである。
御用堰普通水利組合創立委員 那須郡佐久山町長福原伊八郎
本年一月五日付甲第三一号禀請御用堰普通水利組合規約ノ件認可ス
明治二十八年二月二十二日
栃木県知事 佐藤鴨
(佐久山・第一〇三)
明治二十年代は、このような水利組合がほかにも多数作られたのである。
同三十年代になると生産性向上のための耕地整理がはじめられる。同三十三年(一九〇〇)「耕地整理法」が成立し、大田原地方で最初に耕地整理がはじめられたのは佐久山町である。佐久山町大字佐久山字清水川外八字耕地整理組合が同三十六年二月十日に認可され、二月二十一日工事を着工している。総反別四〇町二反二五歩(約四〇・二ヘクタール)、経費は七、五一八円余であった(第8表)。
第8表 整理費明細書 |
費目 | 金額 | |
道路新設費 | 九一四円〇二五 | 平均幅六尺ニシテ長五、九七四間、一間ニ付金一三銭三厘 |
用排水路新設費 | 五八四・五六〇 | 平均幅六尺ニシテ長五、〇八四間、一間ニ付金一一銭五厘 |
道路水抜新設費 | 一五〇・三〇〇 | 口径一尺四五間、一間ニ付金三円四七銭三厘 |
同 | 一三六・六一〇 | 口径八寸長四九間、一間ニ付金二円九七銭二厘 |
畦畔変更費 | 一二四・一二五 | 平均幅二尺四寸ニシテ長八、二七四間、一間ニ付金一銭六厘五毛 |
旧道路廃除及旧堀埋立地均費 | 五、〇五〇・九七五 | 人夫延二〇、二〇三人九分、一日一人金二五銭 |
石積費 | 一八七・五〇〇 | 高五尺ニシテ長一五〇間面坪一二五坪、一坪ニ付金一円五〇銭 |
測量費 | 六〇・〇〇〇 | 技術者ニ四間確定測量及丁張共一日金一円五〇銭 |
手当人夫一日三人ヅツ、六〇人一日手当金五〇銭 | ||
標杭費 | 二二・五〇〇 | 平均長三尺末口二寸一、五〇〇本雑木一本一銭五厘 |
製図費 | 三〇・〇〇〇 | 技術者日数二一日、一日金一円五〇銭全図其他製図共 |
委員費 | 一二〇・〇〇〇 | 委員五人延日数三〇〇日、一人一日金三〇銭 旅行一八日分 |
消耗品費 | 四八・〇〇〇 | 筆紙墨薪炭一ケ月一二円ヅツ、四ケ月分 |
予備費 | 六〇・〇〇〇 | 予算不足又ハ費用外ノ諸費ニ充ツ |
合計 | 七、五一八・〇九五 |
(佐久山・第一一〇) |
次いで、佐久山大神耕地整理組合が作られるが、これは明治四十四年二月二十二日のことで、その概要は「大神耕地整理記念碑」の中に記されているように、八木沢喜一等の努力によるところ大であった。
同じ年の十二月一日佐久山地区の藤沢外二ケ大字耕地整理組合が認可をうけ、耕地整理をはじめるのである。その概要は「栃木県土地改良史」にみられるとおり、諏訪種次の努力によるものである。