渡辺農場(千秋分)

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明治二十四年(一八九一)ごろ、渡辺千秋(旧信州高島藩士で後に伯爵―前記国武の実兄)は、東原のうち、東那須野村・鍋掛村・金田村の七か所に散在する官有原野一三七町余(一三七ヘクタール余)の拝借を受けた。旧金田の地以外には水利権がなく、現黒磯市内の地では、水田が開けなかったようである。第二次大戦後の農地改革で、一部を残して解放されたのである。