鍋島農場

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鍋島直大(旧佐賀藩主で侯爵)に始まる農場。一般には、明治十五、六年(一八八二~三)に始められたとされているが、旧家臣の石丸安世・深川亮蔵から譲り受けたものである。
その年度と面積は、
 明治二十六年 石丸から約一五一町歩(約一五一ヘクタール)
 明治三十二年 深川から約二三二町歩(約二三二ヘクタール)
計三八三町歩(三八三ヘクタール)のようである(深川分の面積は推定)。
 鍋島農場は水田は少なかったが、畑が多く大正末にすでに一三三町余(一三三ヘクタール余)が畑となっていた。
 昭和十年代には、自作農創設運動が起こり、鍋島家では、昭和十四~十六年に小作者へ解放したり、一般の人に売却したりした。ここに鍋島農場は消失し、新たに川西牧場(数十町歩)・鍋掛牧場(四〇町歩(四〇ヘクタール))が生まれたのである。