佐野農場

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明治十四年(一八八一)五月、佐野常民(旧佐賀藩士で後に伯爵)は、家扶中村之保を名義人として、東原の一三一町歩(一三一ヘクタール)の拝借を受けたのである。数年後、佐野自身も自分の名義で拝借を受け、また明治末期を中心として隣接地を買収し、大正末期以降は二八九町歩(二八九ヘクタール)を超える規模が経営されていた。
 第二次大戦後の農地改革で一〇町歩(一〇ヘクタール)を残し、すべて入植者に解放されたのである。