農業協同組合

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昭和二十三年「農業協同組合法」が成立し、民主的な農民組合がつくられることになった。大田原地方には第33表に掲げる農協が設立されたのである。
第33表 総合農業協同組合一覧
(昭和二四年三月三一日現在)
組合名所在地設立許可年月日組合長組合員数払込済出資金
大田原町農業協向組合大田原一九四〇昭和二三・四・二一西田誠一七一六六、九〇〇
親園村農業協同組合親園二九六六昭和二三・四・二四国井淳一七二二一四四、四〇〇
野崎村農業協同組合下石上一一九〇昭和二三・五・一三室井惣次郎七七六三九五、二〇〇
佐久山町農業協同組合佐久山二〇三三昭和二三・四・二〇本橋市太郎六四二四九八、〇〇〇
佐久山町福原農業協同組合福原二九五昭和二三・五・七西村文寿
金田村農業協同組合中田原一四三五ノ二昭和二三・五・八大高昌臣五九五四九八、〇〇〇
(「栃木県農業団体史」)

当時の農業協同組合の事業としては、戦前の産業組合と同じように信用・販売・購買・利用の四種であるが、同二十五年の「金青文化」の広告には次のように載っている。
     金田村農業 協同共済 組合(電話二六六番)
  組合長理事 大高昌臣  副組合長 植木亀男  専務理事 渡辺初吉 常務理事 磯信一
     主なる事業
  金融事業  組合員の事業又は生活に必要な資金の貸付又は貯蓄の奨励
  販売事業  組合員の生産する物資の販売又は保管
  購買事業  組合員の事業又は生活に必要なる物資の供給又は共同利用
  農村工業  組合員の生産する物資の加工又は販売
  輸送事業  一般貨物の輸送
  厚生事業  農村文化及生活の改善
  生産技術事業  農事全般の指導改善
(金田・第三)

 昭和三十六年に「農協合併助成法」が公布され、単位農協の合併が促進された。そして五年後の同四十一年まで六か年間の合併率は、県全体で六五パーセントであった。大田原市内の五つの農業協同組合でも、合併について話し合いが持たれたが、同四十一年八月「金田農業協同組合」が、同年十月には「親園農業協同組合」が不参加と決まり、大田原・野崎・佐久山の三農協が合併することになった。ちょうど、農協合併促進法延長三か年の初年度にあたり、県の第二次農協合併の第一号として、大田原市農協が合併することになったのである。同四十一年十二月二十九日大田原市役所において、合併の予備契約が行われ、翌四十二年四月一日新組合「大田原市農業協同組合」が発足したのである。
 同四十四年米生産総合パイロット事業として、大田原市農業協同組合は浅香町地内に高さ二二メートルのカントリーエレベーターを建設した。内径六メートルのものが八基、もみ二、〇〇〇トン(玄米換算二万六千俵)を貯蔵するもので、栃木県で最初につくられたものである。翌年金田農業協同組合は北金丸地内(旧東野鉄道金丸駅敷地内)に同じものを作り、金田南部地区の米を貯蔵することになった。
 同四十八年石油ショックによる経済環境の激変は、農協の新しい対応が求められ、ここに再び合併問題が取りあげられた。その経過は「大田原市農協合併座談会資料」にみることができる。このようにして、同四十九年二月八日市役所において、合併の予備調印が行われ、五月一日親園農業協同組合・金田農業協同組合が大田原市農業協同組合に合併しここに初めて、全市内一丸の新しい「大田原市農業協同組合」が出発したのである。