木炭及び薪

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本市の薪炭の生産については、明治・大正については定かでないが、「栃木県の林業」によると、那須野が原には明治二十年(一八八七)頃から養苗が行われ、クヌギの造林がなされたことや、那須地方は平地林が多いことから、クヌギの人工林や天然林が多いので、野州炭及び薪の産地として有名であったと記されている。
 昭和十年・同十一年の木炭生産及び窯数調によると、同十年では金田地区が最も多く、ついで佐久山・野崎・大田原・親園の順となっている。同十一年では、佐久山地区が最も多く、他の地区では生産量は前年より減少している。窯数についても、木炭生産量の多い金田・佐久山・野崎地区は多く、これら木炭の生産及び窯数調べを第12表に記す。
第12表 木炭生産及び窯数調
区分十一年十年十一年十年
町村名俵数俵数窯数窯数
大田原町六、一四〇六、五〇三一二
親園村二、五三六四、六二五
野崎村二三、七二六二四、四〇二二九三八
佐久山町三七、一四九二五、六〇八四一三四
金田村一八、六一六三二、三三九五五二八
備考 俵数は三〇キログラム俵を二俵に換算す
   窯数は一二月末現在(官行製炭窯を含まず)
(野崎・第六)

 昭和二十五年の「北那須計画地域の現況」の公私有林伐採数累年比較をみると、同十八年から同二十二年までの五か年で、薪材・製炭原木として、年々減ってはいるが伐採が行われている。また、北那須地域薪炭の需給を、昭和二十三年末の資料より、本市関係の木炭・薪・ガス(これはガス薪用のもの)の計画・生産・供出についてみると、木炭の生産では佐久山町が最も多く、次いで金田村・大田原町の順となっている。
 薪については、計画では金田村が高い数字を示しているが、生産高では大田原町が多く、次いで親園村となっている。
 ガス薪については、大田原町のみ計画数量が示されているが、金田村・野崎村でも生産されていたようである。第13表を参照されたい。
第13表 北那須地域薪炭需給(昭和二三年末)
種別計画生産
町村名木炭(キログラム)薪(石)ガス(キログラム)木炭ガス
大田原町一五、五八五二、四一四六四四、〇〇〇二〇、七四五三、七六三一一八、六二〇
親園村一、四四〇四三五一、八四三
野崎村六二、三四〇九〇〇一四、五三五四八〇二五、五〇〇
金田村七〇、一二五五、〇九二二七、五九五一、四〇一三九九、七五〇
佐久山町七七、九二五三、二四〇四四、二〇五五四〇
 
種別供出
町村名木炭ガス
大田原町二〇、七四五三、七六三一一八、六二〇
親園村四三五
野崎村一四、五三五一、八四三二五、五〇〇
金田村二九、五九五九六七四七一、五七〇
佐久山町四四、二〇五四八〇
(雑・第六)

 「農山村の変動等調査」より、昭和四十一年及び同四十六年の本市における木炭の生産量をみると、わずか五か年の間に急激に減少している。これらは薪炭に供する木材の伐採量の減少と相まって、同三十年ころから液化石油ガス等の急速な進出による燃料革命ともいわれる影響によって、薪炭の需要が著しく減少したことに関係がある。
 第14表は、栃木県林業指導課による「農山村の変動等調査」より本市のもののみを抜粋したものである。
第14表 薪炭生産量
大田原市木炭(t)薪(m3
昭和四一年三〇七三〇七二、三一〇
〃 四六年六八六八一〇〇
(「農山村の変動等調査」)