シイタケ

456 ~ 457
「栃木県の林業」及び「栃木の林業」によると、本県のシイタケ栽培は、埋榾法という栽培方法が、安蘇郡飛駒村に昭和八年のころ群馬県より移入されてから、飛躍的に発展したということである。同十六年以降は、太平洋戦争により生産は減少したが、戦後は豊山村の副業として、栽培の奨励や種菌購入費助成等が行われ特殊林産物として、生産量は同四十七年には三、〇〇〇トンを突破して、群馬県につぎ全国第二位の生産県になったのである。
 本市のシイタケ栽培については、同二十五年、「北那須計画地域の現況」(雑・第六)公私有林特殊農産物生産累年比較表をみると、同十八年から同二十三年までの間で、佐久山地区のみが同十八年に三五貫(一三一・二五キログラム)生産されたことがあげられている。このことから本市では、合併以前は、シイタケの栽培は、あまり盛んではなかったと考えられる。
 次に、「栃木の林業の特殊林産物生産量」(昭和三十九~同四十七年)によると、那須北の六市町村では、同三十五年には黒磯市が第一位で二七トン生産しているが、大田原市は二〇トンの生産高を示し第二位であった。その後、同四十一年以降は急速に生産が伸び、同四十七年には一七二トンと、那須北第一位の生産額を占めるほどになった。
 また「栃木県林業統計書」(昭和四十九年)においても、大田原市のシイタケ(生)の生産額は、更に伸びて二二五トン生産されたとしている。
 ちなみに、特殊林産物生産量、シイタケを「栃木の林業」及び「栃木県林業統計書」から、同三十九年から同四十八年の一〇年間を、那須北のみ抜粋して第15表に記す。
第15表 特殊林産物生産量 シイタケ(生)(昭和三九~昭和四八年)
(単位 トン)
三九四〇四一四二四三
市町村名
栃木県七三九八四九一、〇五六一、三〇八一、五八四
那須北七〇九〇一三六一五九一六三
那須町二五三八四四四九
黒磯市二七二八二八三〇一〇
黒羽町一三一六一八
湯津上村一三一二一〇
大田原市二〇二〇三五四七六七
西那須野町一〇
 
四四四五四六四七四八
市町村名
栃木県一、八六〇二、一三四二、四九〇三、〇一八三、二一六
那須北一六五一六二二四三二八八三六九
那須町四六四二五二五九七九
黒磯市一六一八一九
黒羽町一八一四二八二八二九
湯津上村一一
大田原市七五八九一三〇一七二二二五
西那須野町一二一二
(「栃木の林業」、「栃木県林業統計書」)