那須之漬は大田原市古田半造商店の製品である。もとは乃木漬として販売されていたが、現在の企業形態になった大正四年(一九一五)に名を那須之漬と登録し、製造販売して現在に至っている。
昭和五年の「下野名産推奨投票記念写真集」には、次のように記されている。
第一倉庫には幾百本の原料桶が整然と並べられ香気は遠慮なく人の味覚をそそる。それに隣りした第二工場では、数十名の女工が山吹色の大根漬、見るからに甘そうな蕪、茄子、胡瓜等の漬物を素晴らしい速さで惜気もなく切り刻んでいる。そして刻まれた幾種かの漬物は屈強の男工の手によって第一洗浄場に運ばれ更にタンク式の第二洗浄場に廻される。ここでは寧ろ哂されるのであって、それはやがて圧縮機に移される。圧力にかかって原形は見る影もなく縮み上るが、那須之漬独特の舌触り、歯切れはこの苦難によって醸されるとか。かくして第二倉庫の漬桶に投ぜられ名産那須之漬は幾月かの後、充分の味と美しい粉飾とを持って市場に送り出されるのである。
原料は全く那須野ヵ原より生産される野菜に仰ぎ、年に大根十三万貫(四二・二五トン)茄子十万貫(三二・五トン)を消費すると云う。
原料は全く那須野ヵ原より生産される野菜に仰ぎ、年に大根十三万貫(四二・二五トン)茄子十万貫(三二・五トン)を消費すると云う。
那須之漬,古田商店・昭和5年(長谷川渉氏提供)
吉岡食品工業株式会社
吉岡食品工業株式会社の前身は、昭和八年十一月一日東京府荒川区尾久町に、東京唐辛子商会として創立したのが始まりである。
農家から唐がらしを買入れて、それを乾燥し、加工し、販売するという加工業である。そこで新しい栽培産地を形成しようとして昭和八年から三島通庸の農場に唐がらしの栽培試作を依頼したところ、栽培の成績は良好、特別な栽培技術もあまりいらない、というような都合のよい結果報告を得たのであった。さっそく大田原に那須支店を設けると、大田原一帯の農家に対して、唐がらし栽培をすすめる運動を開始した。はじめ農家は半信半疑でなかなか栽培をはじめようとはしなかったが、利幅がよいことがわかり、西那須野から茨城にかけて産地が形成されていった。
昭和十六年六月一日営業の本拠を大田原町へ移転し、翌年東亜食品製造所と改名したが、この時代は太平洋戦争中であり、唐がらしの栽培禁止令が出され、思うように栽培もならず、一時は佃煮や漬物の製造を業としていた。のち同二十一年二月吉岡食品製造所と改名し、現在の社名になったのは同二十五年である。資本金六、〇〇〇万円で、吉岡食品工業(大田原市山の手二丁目)を同年六月一日創設したのである。
このころ、海外から唐辛子の大量注文が殺到し、輸出も活発になったので、吉岡食品工業では、日本国内の全生産量を集めても三、〇〇〇トンなのに、スリランカでは二〇、〇〇〇トンも消費する。この国だけを対象に生産しても、日本の唐がらし産業は成立すると見て、輸出はスリランカを舞台に開始されたのである。
国内市場を席巻しただけでなく、海外へ大量に輸出ができるようになったうらには、長年の改良種の開発があったのである。この種は「栃木改良三鷹」といわれる品種である。唐がらしは天然物であるため、輸送上の幾多の問題があったが、会社として独自の分野を開発し、乾燥機・保存設備・包装機などを製作し、これに対応したのであった。また、二年間の保存に耐えられる佃煮葉とうがらしをも開発したのである。
市内における在来の工業上の諸統計は第3~6表のとおりである。
第3表 現住戸数職業別表 |
年度 | 大正11,12,31 | 大正12,12,31 | ||||||||||
大田原 | 佐久山 | 大田原 | 佐久山 | |||||||||
本業 | 副 | 計 | 本業 | 副 | 計 | 本業 | 副 | 計 | 本業 | 副 | 計 | |
窯業 | ||||||||||||
金層工業 | 27 | 27 | 2 | 2 | 28 | 28 | 3 | 1 | 4 | |||
機械器具製造業 | 1 | 1 | 2 | 1 | 3 | 2 | 2 | 3 | 3 | |||
化学工業 | 2 | 2 | 2 | 2 | 3 | 3 | ||||||
維繊工業 | 11 | 11 | 10 | 10 | ||||||||
木竹類に関する製造 | 92 | 8 | 100 | 7 | 6 | 13 | 91 | 10 | 101 | 17 | 12 | 29 |
飲食料品嗜好品製造 | 76 | 7 | 83 | 2 | 1 | 3 | 77 | 6 | 83 | 7 | 3 | 10 |
被服身の廻り品製造 | 68 | 25 | 93 | 5 | 7 | 12 | 66 | 31 | 97 | 6 | 7 | 13 |
土木建築業 | 115 | 2 | 117 | 119 | 3 | 122 | 9 | 5 | 14 | |||
紙工業 | 8 | 2 | 10 | 2 | 4 | 6 | 8 | 3 | 11 | 23 | 24 | 47 |
其の他(以上項目に属せぬもの) | 45 | 4 | 49 | 44 | 2 |
(「大田原,佐久山町統計書」) |
第4表 木製品 |
種別 | 製造場数 | 職工数 | 指物 | 箱数 | 桶樽 | 計 |
円 | 円 | 円 | ||||
昭和11 | 4 | 4 | 128 | 52 | 115 | 295 |
12 | 3 | 3 | 120 | 50 | 120 | 290 |
13 | 5 | 5 | 150 | 80 | 130 | 360 |
14 | 1 | 1 | 125 | 125 | ||
15 | 時局ニ鑑ミ需要者ノ既有物ニヨリ間合ス関係減少セリ |
(「野崎村役場統計報告書」) |
第5表 金田村生産物概況 工産物 |
年度 | 昭和3年 | 昭和4年 | 昭和5年 | |||
数量 | 価額 | 数量 | 価額 | 数量 | 価格 | |
石 | 円 | 石 | 円 | 石 | 円 | |
晒及染物 | 431 | 310 | 262 | |||
木製品 | 3,160 | 2,950 | 1,630 | |||
竹製品 | 1,275 | 1,065 | 1,054 | |||
藁製品 | 2,492 | 2,572 | 1,863 | |||
酒類 | 1,067 | 80,375 | 1,174 | 100,551 | 908 | 72,840 |
醤油 | 50 | 2,100 | 45 | 1,755 | 50 | 2,000 |
其ノ他 | 620 | 530 | 290 | |||
計 | 90,453 | 109,733 | 80,939 |
(「金田村郷土誌」) |
第6表 藁製品 |
種別 | 製造戸数 | 人員 | 縄 | 叭 | 俵 |
貫 | 枚 | 枚 | |||
円 | 円 | 円 | |||
昭和11 | 40 | 54 | 4,650 | 3,700 | 250 |
465 | 407 | 30 | |||
12 | 58 | 73 | 6,548 | 3,950 | 280 |
851 | 434 | 39 | |||
13 | 75 | 94 | 9,500 | 2,500 | 520 |
1,615 | 400 | 72 | |||
14 | 55 | 69 | 6,670 | 4,655 | 600 |
1,044 | 740 | 98 | |||
15 | 55 | 65 | 3,814 | 2,460 | 400 |
788 | 503 | 92 |
(「野崎村役場統計報告書」) |