大田原電機株式会社・昭和37年(大田原電機提供)
この誘致工場敷地は、もと中島飛行機製作所の建設あと地の雑木林が広がり、人家もないようなところであったが、当時の大田原市長益子万吉は、優秀な工場をこの町にも誘致しようという考えを持っており、矢板に進出し栃木県北部の発展のため貢献している大興電機の姿を見て、積極的な誘致策を打ち出したのである。
土地の購入についても、特別な便宜がはかられ、近隣の市営の各種競技場も自由に使用してよいというような、好条件で建設に着手したのである。
大興電機矢板工場から工場建設のために十数名の社員が大田原に移り、地元入社社員と合わせて四七名が、雑木林の木を切り倒しながら、工場建設をしたのである。昭和三十三年三月から八月まで、木の伐採、土地の整地、そして矢板から木造の工場を移して、建設のために努力したのであった。
工場名称は、市の名前の付いた工場にして欲しいという要請もあって、内容は矢板工場の分工場ではあったが、別法人にして社名を「株式会社大田原電機製作所」と命名したのである。
土地の賃貸借契約については、次のような文書が残されているので記す。
議案第九号
昭和三十三年三月十二日提出
大田原市長 益子万吉
土地賃貸借の契約について
大田原市工場誘致条例に基く工場誘致のため、左記の者と別紙案のとおり土地賃貸借契約を締結するものとする。
記
川田工業株式会社 取締役社長 川田忠雄
株式会社大田原電機製作所 取締役社長 古川梅三郎
昭和三十三年三月十二日議決
昭和三十三年三月十二日提出
大田原市長 益子万吉
土地賃貸借の契約について
大田原市工場誘致条例に基く工場誘致のため、左記の者と別紙案のとおり土地賃貸借契約を締結するものとする。
記
川田工業株式会社 取締役社長 川田忠雄
株式会社大田原電機製作所 取締役社長 古川梅三郎
昭和三十三年三月十二日議決
(川田工業株式会社所蔵文書)
契約書
大田原市長益子万吉(以下甲という)は株式会社大田原電機製作所取締役社長古川梅三郎(以下乙という)が大田原市大田原参千四百四拾参番地地内に同社工場を建設する計画に同意し左記の契約を締結する。
記 (第七条まで略)
昭和参拾参年参月弐拾五日
甲 大田原市大田原
市長 益子万吉
乙 大田原市大田原参千四百参拾八番地
株式会社大田原電機製作所
取締役社長 古川梅三郎
大田原市大田原三四三八番地
株式会社大田原電機製作所
貴工場を大田原市工場誘致条例の適用対照工場として指定します。
昭和三十四年八月十三日
大田原市長 鈴木邦衛
株式会社大田原電機製作所
取締役社長 古川梅三郎殿
誓約書
昭和参拾参年参月弐拾五日契約に係る当工場敷地について、今度無償贈与されることの御通知に接し厚く御礼申し上げます。
無償贈与される土地に就きましては、将来共全能力をあげて当工場の振興を図り、もって貴市工場誘致条例の趣旨に添うべく努力致すことをお誓いいたします。
昭和参拾五年八月壱日
株式会社大田原電機製作所
取締役社長 古川梅三郎
大田原市長 鈴木邦衛殿
大田原市長益子万吉(以下甲という)は株式会社大田原電機製作所取締役社長古川梅三郎(以下乙という)が大田原市大田原参千四百四拾参番地地内に同社工場を建設する計画に同意し左記の契約を締結する。
記 (第七条まで略)
昭和参拾参年参月弐拾五日
甲 大田原市大田原
市長 益子万吉
乙 大田原市大田原参千四百参拾八番地
株式会社大田原電機製作所
取締役社長 古川梅三郎
大田原市大田原三四三八番地
株式会社大田原電機製作所
貴工場を大田原市工場誘致条例の適用対照工場として指定します。
昭和三十四年八月十三日
大田原市長 鈴木邦衛
株式会社大田原電機製作所
取締役社長 古川梅三郎殿
誓約書
昭和参拾参年参月弐拾五日契約に係る当工場敷地について、今度無償贈与されることの御通知に接し厚く御礼申し上げます。
無償贈与される土地に就きましては、将来共全能力をあげて当工場の振興を図り、もって貴市工場誘致条例の趣旨に添うべく努力致すことをお誓いいたします。
昭和参拾五年八月壱日
株式会社大田原電機製作所
取締役社長 古川梅三郎
大田原市長 鈴木邦衛殿
(株式会社大田原電機所蔵文書)
大田原電機は資本金一二五万円、四七名の人員でスタートしたのであるが、はじめに手がけたのは、東芝の医療機器(レントゲン)(現野崎工業団地進出)の交流リレー・電気洗濯機のスターター・直流を交流に変えるのに使われるチョッパーなど、矢板工場から移管された業種で、初年度の売上げは六三〇万円であったのである。
株式会社大田原電機製作所
所在地 大田原市美原町三、四三八番地
創立 昭和三十三年二月二十八日
資本金 授権資本 一〇、〇〇〇万円
払込資本 八、〇〇〇万円
従業員 四九〇名
会社の概要
当社は昭和三十三年二月大田原市の誘致工場として創立、昭和三十三年八月操業を開始しました。以後近代的な設備の整った工場として技術・生産性の一層の向上に努め、電気通信機用部品の専門メーカーとして発展してきました。現在時代産業のトップを行く自動制御装置の部品・電話交換機用のリレーの生産を行っており、その高度な技術程度と品質の信頼性は国内はもとより、広く海外でも高く評価され、現在に至っているのである。
(「七五・企業ガイドブック」)