創業期

537 ~ 541
大田原市の電灯は、明治四十三年(一九一〇)に、現在もある市内中央二丁目一三の薬師堂裏に「火力発電所」を完成し「大田原電気会社」が創業・供給したのが初めである。
 日本における水力発電の歴史は、同二十三年(一八九〇)七月、栃木県鹿沼市の下野麻紡織(帝国織維)が自家用水力発電所を完成したことに始まる。したがって栃木県は、わが国の水力発電の先駆的地位にある。
 大田原電気会社は、同四十四年、箒川支流、百村川に滝岡発電所を建設し、供給区域を県下一帯の黒磯・関谷・野崎・黒羽・馬頭・矢板・片岡と拡張していったのである。
 当時の大田原電気会社と、親園村大字滝岡との間に契約書が残されているので、次に記す。
 
   誓約書
今般我々共発起係ル貴村大字滝岡字山中壱千拾六番田ヨリ同九百拾番ノ田ニ至ル土地を開鑿シ百村川ノ水流ヲ引入レ発電所設置ニ付地元関係者御承諾ヲ受ケ候ニ付左記ノ各項堅ク遵守スル為メ茲ニ発起者一同署名捺印ノ上誓約書差入候也
一 引入口及ビ注口ハ上下両側共完全ナル堤防ヲ築キ隣接障害ナキヲ期シ且引入口堰ハ水勢ノ停滞セザル程度ニ於テ概ネ流込ニ出来スル事

二 引入口ヨリ注口ニ至ル下流ノ従来ヨリ在ル田用水路堰ハ毎年修理費用ノ半額ヲ負担可致候事

三 工事ハ総テ入念ヲ旨トシ殊ニ堀敷等ハ必ズ欠壊漏溢水等無キ様隣地其他接続地ニ被害ヲナサザル事

四 堀敷ノ道路ニ係ル箇所ハ勿論通行ノ要所ニハ堅固ナル橋ヲ架ケ人馬車ノ通行ニ差支無キ様ニスル事

五 □ハ地元ニテ増加ヲ要スルトキハ加分ニ対シテ当方負担トス

六 株事業ノ為ノ土地ノ異動ニ関シ申請願届等一切ノ費用ハ当方ノ負担タル事

七 水路事業ハ人工ノ及ブ限リ執行ストイエドモ漏溢湿水等ノ障害アル土地ニ対シテハ相当ノ損害ヲ賠償スルハ勿論地主ノ請求ニヨリ被害ノ部分ヲ時価ノ五割増ヲ以テ買受可申候事

八 発電所ヨリ電流ヲ通ズベキ電柱設立ハ相当ノ借地料ヲ支払ヘ其線ハ安全装置トナス事

九 水路関係者ニシテ電灯ヲ需用セラル場合ハ本線ヨリ引込ベキ材料其他諸費修理等ヲ自弁セラル時ハ拾灯光壱ケ無料点灯スル事

十 発起者ノ権利、異動ヲ生ジ名儀ヲ変更シタル時、其后謎者ハ此誓約ニ対スル線テノ責任ヲ負フ者トス

十一 前各項ヲ遵守セズシテ其実行ヲ怠リタル時ハ相当損害ヲ請求セラルモ異議無之事

十二 工業ノ廃止又ハ停止等ニテ不用ニ属シタル時ハ引入口注口及ビ通路ノケ所ハ原形ニ復シ地元ノ手数ヲ煩ラワセザル事

                                        以上
  明治四拾参年八月弐拾四日

                        大田原電気株式会社
                                発起人
                                  取締役社長 若林五郎平
                                  同     小口融四郎
                                  監査役   人見定吉
                                  取締役   小川清太郎
(矢吹清一文書)

 
   契約書
発電所地元親園村大字滝岡大嶋譲外拾参名ヲ申トシ大田原電気会社ヲ乙トシ曩(サキ)ニ契約ニ基キ再契約スル事如左
一設備費金参百六拾参円ヲ乙ニ提供シ乙之ヲ受領シ一戸ニ付拾触光一灯ヲ将来無料ニテ点火スル事
一電柱電線等ノ修理及ビ税金ハ乙ノ負担トスル事
一電柱ノ借地料ハ乙之レヲ負担セザル事
一電球代ハ灰素線一ケヲ無料金属線ノ場合ハ金五拾銭ヲ甲ノ負担トスル事一ケ月間ノ断線ハ無料トス
一甲ハ本契約外ノ電灯ヲ需用スル場合ハ一般料金ヲ乙ニ支払フ事
右契約ヲ履行スル為メ甲乙両者記名捺印セル者也
大正参年六月二十日

                                大田原電気株式会社
                                  取締役社長 若林五郎平
                                那須郡親園村大字滝岡の沢坪
                                  総代    関谷倉次郎
                                        大嶋譲
(矢吹清一文書)

 明治四十五年二月に運転を開始した滝岡発電所は、以来発電を継続すること約五〇年、昭和三十三年九月の洪水のため流失し、廃止されたのである。