近江商人の進出

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大田原町では、明治三十一年(一八九八)に、他市町村に在籍して、旧大田原町内に土地を所有する者の調査をしている。これによると、金田村・親園村・黒羽町など近隣町村在籍者が多く、その他では、宇都宮市や東京府在籍者などが見られる。前者では、近隣町村の在地地主が多く、後者には、旧藩出身者の系譜につながる者が多いことが共通している。大部分が近隣町村ないし県内在籍者であり、遠方であっても東京府である中で、目につくのは、滋賀県を本籍地とする者であろう。いまそれらの人名と本籍地をあげると次のとおりである。
  滋賀県蒲生郡日野町   島崎善平
  〃  〃  〃     脇村宗吉
  〃  〃  〃     中井源三郎
  〃  〃  〃     岡力藏
  〃  〃北畑村     井戸真之助
(大田原・第九八)

 これは、旧大田原町に土地を所有している者であるから、旧佐久山町・金田・親園・野崎村に関係している者、あるいは、大田原に移籍した者も含めれば、滋賀県有縁者数はさらに増加するのであろう。この人たちの多くは、いわゆる近江商人、あるいは日野商人といわれている人たちである。近江商人の進出は、大田原の商工業にも大きな影響を与えているのである。
 下野における近江商人について、渡辺守順はその著「近江商人」(昭和五五、教育社)において次の如く述べられている。
 
 「近江日野町志」にでてくる出店数と府県別一覧表を見ると、栃木県二三、群馬県二六、茨城県一五、神奈川県九などずい分近江商人が進出している。その出店商人を紹介すると、栃木県足利市へは日野の中森彦兵衛、烏山町へは島崎善平、佐久山町へは島崎覚兵衛、大田原町へは脇村宗吉、下館町へは外村拾治郎らが、江戸時代に店をだして活躍している。栃木県の大田原へは中井源左衛門も店をだしている。

 近江商人は、全国各地に進出、出店していったなかで、特に多かったのは、上・下野地方であったといわれている。これは、はじめ天正十八年(一五九〇)、近江国蒲生に有縁の蒲生氏が会津に転封され、さらに蒲生秀行が会津から宇都宮城主となった(慶長三年 一五九八)ことに関係があるといわれている。前記、大田原に土地を所有する者の本籍地が、いずれも滋賀県蒲生郡であることがうなずけよう。
 特に、中井家については、江頭恒治の労作、「近江商人・中井家の研究」に詳しく論証されているので、次に、同書により大田原における中井商店の大要を紹介したい。