大正町代の大田原商店街

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この時期の大田原の商店街を示すものとして、「栃木県大田原町真景」(大正十三年三月)がある。これは鳥瞰図であり、大田原町の繁栄・殷賑(いんしん)の有様を見せるために、やや誇張した表現もあるが、大略を知ることができるのである。
 これによると、商店街の基本的な点については、前代とほとんど変りがないが、大正七年(一九一八)に東野鉄道が開通し、大田原駅が開業した。これにより、寺町通りの商店街が大田原駅方面にまで延長され、駅前にも商店が開かれるようになってきた。また、上町十字路より大手通り方面にもすこしずつ商店が見えてきている。

大田原町真景(一部)・大正13年


大田原町発展スゴロク・大正4年(吉川恵造氏蔵)

 なお、この間に深川地区に、新岩井楼・巴楼・武蔵楼・新井丸楼などが移転して、新地遊廓を作り、ここにあたらしい歓楽街が形成されてきたのである。
 大正十年(一九二一)大田原町現住戸口職業別表(大田原・第二九)には、旧大田原町の職業別戸数について次のごとく記載されてある。
 
  農業        四九九戸
  工業        二〇五戸
  商業        五五七戸
  交通業       一〇八戸
  公務及自由業    二五三戸
  その他の職業     五一戸
  土地家屋有価証券恩給生活者
            一一一戸
  無職         五四戸
  計          一七三九戸
 なお、時代は下るが、昭和十年発行の「大田原読本」(大田原 尋常高等 小学校)には、戸数二、三〇〇戸、商業従事者は約七〇〇戸と記録され、その間の増加が見られるのである。