大戦が終わり、人々が軍隊や軍需工場から帰って来た。そして、統制のない分野から各種の商店が再開された。同二十二年十月当時の旧大田原町の販売業者数は次のとおりである(「大田原町の調査」昭和二五・二 大田原町社会科研究会 小貫康夫所蔵)。
一 卸売業
製造製品 一 身廻品 一
金属類 二 化学製品 四
木竹製品卸 八 食料品 七
その他の製品 三
計 二六
二 小売業者
呉服類 五三 洋服類 七
綿・糸類・洋品雑貨 一〇
その他の身廻品 五
時計・眼鏡・宝石・貴金属 七
機械・器具類 一三
金物類・食器 五 陶磁器 七
燃料 二 木竹製品 八
主食料品 三 生鮮魚介 一九
果実・蔬菜 一七 小間物・荒物 一六
美術骨董品 六
医薬品・工業薬品・衛生材料・化粧品 一一
その他の食料品 六五
科学・図書・雑誌 五
玩具・文房具・運動具 一五
その他の物品小売業(1) 二三
その他の各種物品小売業(2) 一〇
露天商・行商 七八
計 三九二
注 (1) 前記のいずれにも属さない小売店を一括したもので、種苗業・生花業なども含まれている。
(2) 百貨店法によらない百貨・雑貨店で、よろず屋的なものをいう。
これによると、やはり食料品・衣類品関係が圧倒的に多い。また、露天商・行商の数が大変に多いのが目につき、終戦直後の時代の様子を反映しているのである。この露天商・行商の数を差引いた店舗数は、明治末期~大正初期とそれはどの変化はない。そして、また戦後の復興期であることを示している。
この当時の物価騰貴の時代に、消費者の生活を保護するために組織され、特異な活動をしていたものに、大田原町消費組合がある。消費組合は、普通同一職場の従業員によって組織される職域組合と、地域組合とがあるが、大田原町消費組合は地域組合として、住民三、三〇〇戸のうち二、五〇〇戸が加入して、組織されていたと伝えられている(前掲「大田原町の調査」)。この組合について詳しい資料がのこされていないので、設立・定款・活動内容などは不明であるが、理事長・理事の他に職員六名が六部に分れ、輸送・鮮魚・食品・燃料・雑品及び総務の仕事を担当していた。とくに野菜・蔬菜類・燃料の販売・購入にあたっていたようである。なお、この組合の終末や人的な組織は不詳である。