本章では、大田原市における商業の発展を、主として商店街の形成過程をとおしてながめてきた。また、本編では、主として明治維新から市制施行――大田原市の成立までを取り扱うわけであったが、前編で触れ得なかった前近代大田原における商業上の問題(第一節大田原の「市」、近江商人の進出)や、市制施行以後の問題点(第四節)についても若干触れることにした。
もとより、商店街の形成のみをもって、大田原の商業を論ずることは全く不適当である。そして大田原の商業を支えたさまざまの、各分野での活動を見逃すことはできない。古くから続いているしにせも、かつては新興の商店であったし、しにせだけが大田原の商業を支えたものではない。それぞれの時代にその時代の要求で生れた新しい商店が、それぞれの時代の主役であった。また、かつては隆盛を誇っていながらも、歴史の激浪のなかに消え去り、市民から忘れ去られてしまった商家の活動も、決して看過することはできない。
これら個々の商店の経営形態や活動状況を、つまびらかにすることも必要であろうが、史料と時間の関係で究明することができなかったし、すべての商店史に触れることは市史の性格上不可能であった。
大田原は、すでに論じたように、県北の産業経済の中心地であり、特に、生産・消費の中心地となりそれらの物資の集散地として栄えた所である。そのことは、中井清一郎が大田原を拠点として商圏を拡大したことからもうなずけよう。それでいながら、大田原の商業都市としての性格は不明な点が多すぎる。市史の刊行を機会に、今後この分野の史料が発掘され、さらに研究が深められることを期待したい。