こうした日本の資本主義経済発展の様相を実証する窓として、地域史の研究が意義づけられているが、それら一切を明らかにするためには、産業構造をはじめ、生産・消費・流通にかかわるすべてに抵触しなければならず、本市史では、農業・林業・水産業・工業・商業・金融の各章や三編の社会等で分担執筆されているので、本章の「経済」では、特に「物価」を中心に扱うこととした。
日本の長い歴史の中で、米価が常に物価の中心であり、その上がり下がりが国民の生活を大きく左右した。ここに明治・大正・昭和にわたる「米価三代暦」があるので掲げよう。
米価三代暦 玄米一俵 四斗(六〇瓩)
明治元年 二円三九銭 西暦一八六八年江戸を東京と改称
二年 三円六一銭
三年 三円六八銭 日の丸を国旗に制定 苗字許可
四年 二円二五銭 廃藩置県 戸籍法 金本位制
五年 一円五五銭 太陽暦採用 学制 徴兵詔書
六年 一円九二銭 地租改正
七年 二円九一銭
八年 二円九一銭
九年 二円〇〇銭 廃刀令公布
一〇年 二円二二銭 西南の役
一一年 二円五九銭
一二年 三円二〇銭
一三年 四円三四銭
一四年 四円四八銭 農商務省設置 大日本農会設立
一五年 三円五七銭 日本銀行創業
一六年 二円五〇銭
一七年 二円〇六銭
一八年 二円六一銭 内閣制度 府県制 初代伊藤博文内閣
一九年 二円二四銭 万国赤十字条約加盟
二〇年 二円〇〇銭
二一年 一円九七銭 磐梯山噴火 市町村制公布
二二年 二円四〇銭 大日本帝国憲法発布 土地台帳
二三年 三円五八銭 帝国議会召集 経済恐慌
二四年 二円八二銭 濃尾大地震
二五年 二円九〇銭
二六年 二円九五銭 米穀取引所法公布 国立農事試験場設置
二七年 三円五三銭
日清戦役
二八年 三円五六銭
二九年 三円八六銭 三陸津波
三〇年 四円七九銭 米騒動
三一年 五円九九銭
三二年 四円〇〇銭 耕地整理法公布
三三年 四円七七銭 産業組合法公布
三四年 四円八九銭 米県営検査普及 田中正造直訴事件
三五年 五円〇六銭 日英同盟 東北凶作
三六年 五円七七銭
三七年 五円二九銭
日露戦役
三八年 五円一四銭
三九年 五円八九銭 東北凶作
四〇年 六円五九銭 潜在的農業危機の徴
四一年 六円三八銭
四二年 五円二六銭 産業組合中央会設立
四三年 五円三一銭 韓国併合 帝国農会設立
四四年 六円九四銭 米価暴騰 外米売出し
大正元年 八円三八銭(明治四五年)
二年 八円五三銭 東北凶作
三年 六円四五銭 第一次世界大戦起る
四年 五円二三銭
五年 五円五〇銭
六年 八円一四銭 米価奔騰 農業倉庫業法公布
七年 一三円一〇銭 西日本台風 米価暴騰 全国的米騒動 外米管理令公布
八年 一八円四〇銭 パリ講和会議
九年 一七円八五銭 国勢調査総人口五五、九六〇千人
一〇年 一二円三二銭 米穀法公布
一一年 一四円〇六銭
一二年 一三円一〇銭 関東大震災 全購聯 産組中央金庫
一三年 一五円四三銭 新潟小作争議
一四年 一六円六四銭 農林省独立 家の光創刊
昭和元年 一五円一四銭 (大正一五年)
二年 一四円一〇銭 金融恐慌
三年 一二円四一銭 衆議院議員普通選挙
四年 一一円六三銭 世界経済大恐慌
五年 一〇円二四銭 大豊作、農業恐慌 小作争議
六年 七円三九銭 満州事変起る 全販聯設立
七年 八円四七銭 満州国建国、五・一五事件 阿久津村小作争議
八年 八円六五銭 三陸大地震大津波 米穀統制法公布
九年 一〇円四四銭 室戸台風 東北凶作
一〇年 一一円九五銭 農村経済更生特別助成
一一年 一二円二八銭 米穀自治管理法公布 二・二六事件
一二年 一二円九四銭 日華事変
一三年 一三円七一銭 国家総動員法公布
一四年 一四円九二銭 第二次世界大戦起る 米穀配給統制法公布
一五年 一七円三二銭 大政翼賛会誕生
一六年 一六円六〇銭 東条英機内閣太平洋戦争に突入 米配給通帳制実施
一七年 一六円九〇銭 食糧管理法公布
一八年 一八円八〇銭 農商務省、農業会 全国農業経済会、農林中金
一九年 一八円八〇銭 東海大地震
二〇年一二〇円〇〇銭 ドイツ軍降伏、原子爆弾、終戦詔勅放送、戦時農業団、全国農業会 農林省
二一年二二〇円〇〇銭 農地改革 食糧緊急措置令、物価統制令
二二年七〇二円四〇銭 日本国憲法、知事市町村長公選 農協法、食料配給公団
二三年一、四五八円四〇銭 福井大地震 全国指導連、全購連、全販連
二四年一、七五九円二〇銭 米価審議会発足 下山、三鷹、松川事件
二五年二、四一八円八〇銭 朝鮮動乱起る 肥料等統制解除
二六年二、八二〇円〇〇銭 対日講和条約締結 農業物検査法、米販売業者登録制
二七年 三、〇〇〇円 第一回全国農協大会 栃木県経済連発足
二八年 三、三八四円 朝鮮動乱終結 農林漁業金融公庫
二九年 三、七〇四円 全国農協中央会設立 黄変米騒動
三〇年 三、九〇二円 政府米事前売渡申込制
三一年 三、七八八円 国連加盟
三二年 三、八九八円 神武景気 ソ連人工衛星スプートニク一号
三三年 三、八八〇円 中伊豆台風
三四年 三、八八六円 伊勢湾台風 農林年金組合設立
三五年 三、九〇二円
三六年 四、一二九円 室戸台風 農業基本法、農協合併助成法
三七年 四、五六二円 東京都世界初の一千万都市
三八年 五、〇三〇円
三九年 五、七七二円 新潟大地震 オリンピック東京大会
四〇年 六、二二八円
四一年 六、九三六円
四二年 七、五九二円 建国記念日 米の収穫高史上最高
四三年 八、〇八八円 十勝沖地震
四四年 八、〇九〇円 自主流通米制度 アメリカアポロ一一号月面着陸
四五年 八、一五二円 米減反奨励、政府米買入制限 総人口一億突破
四六年 八、四八二円 沖縄返還 農業者年金開始
四七年 八、八八〇円 消費者米価物価統制令適用除外 全農発足
四八年一〇、二一八円 世界的食糧需給逼迫 石油危機緊急事態
四九年一三、四九一円
五〇年一五、四四〇円 農業サンサス 農家四、九五三千戸 二三、一八五千人
五一年一六、四三二円 水田総合利用対策 米消費拡大運動
五二年一七、〇八六円
五三年一七、一七六円 宮城大地震 農林水産省設置
五四年一七、一七六円 大平内閣渡辺農水相 品質格差導入
注 米価は「改訂日本農業基礎統計」による
明治元年~昭和一五年 深川正米相場年間平均
昭和一八年以降 政府買入価格
この米価一覧をみて感じるのは、米価に大きな変動のある年度は、日本経済が大きく揺れ動いた年であったことである。たとえば、大正六年(一九一七)の米価は八円一四銭(玄米一俵四斗・六〇キログラム、以下同じ)であるが、翌年の七年には一三円一〇銭で、八年は一八円四〇銭と、ものすごい上昇ぶりである。つまり、この急上昇が世にいう米騒動の年である。
同七年(一九一八)の七月に、富山県の漁民の主婦たちが、米価騰貴の原因は、米の県外移出にあるとして、船積み阻止と廉売要求の運動を起こしたが、この運動は全国的に広まり、各地に暴動を呼び起こしたのである。この米騒動は、遂に軍隊の出動という事態にまで発展し、その責任をとって寺内内閣は総辞職をするのである。
栃木県は米騒動の起こらなかった全国五県の一つで、当然、大田原地方にも記録的なものは見当らなかった。しかし、当地域民の窮状も、全国の人達と同じく苦しいものであったことは確かである。
前記米価一覧をみて、ただ単に米価の変動だけで、そのときどきの国民の経済活動を論ずることは早計であるが、米以外の一般物価、農産物価格などを次のような指数で表わして米価を見直すことは非常に重要であろうと思うのである(第1表)。
第1表 農産物価格と米価の推移(指数) |
年度 | 一般物価 | 農産物価格 | 農産物相対価格 | 米価 | 米価率 |
明治33年 | 133.2 | 127.3 | 93.9 | 127.2 | 95.5 |
38年 | 153.8 | 142.8 | 93.3 | 142.2 | 92.5 |
43年 | 159.1 | 141.1 | 87.3 | 145.3 | 91.3 |
大正4年 | 169.1 | 138.3 | 79.6 | 140.1 | 82.9 |
9年 | 453.7 | 399.2 | 86.5 | 488.4 | 107.6 |
14年 | 352.9 | 395.4 | 113.7 | 457.5 | 129.6 |
昭和5年 | 218.5 | 221.0 | 100.2 | 280.2 | 128.2 |
10年 | 245.5 | 252.0 | 105.2 | 328.8 | 133.9 |
(注)基準年度は明治26~30年=100。 |
(「日本経済史」中村吉治) |
大正七年(一九一八)の米騒動のあと、同十二年(一九二三)の関東大震災は、日本経済を大混乱に巻き込み、その後の不況は、昭和二年の金融恐慌から同四年の世界恐慌へと進展し、同五・六・七年の農村不況では、すでに不況の慢性化を意味していた。農産物価格は大正十三年以降下降を続けていたが、米価の場合、昭和六年が下降のピークとなっている。昭和期の米価のほか、他の主な農産物も第2表に表示の指数によってみると、同六年をピークに、同九年まで農村経済は全面的な破綻状態に陥っていたことがわかる。その結果、東北農村を中心に娘の身売り話が真剣に行われたり、全国の市町村の小学校教員給料不払い問題が起こったのもこのころである。大田原地区でも給料の遅延支払いは普通のようであった。
第2表 農産物指数 |
年次 | 米 | 麦 | 食用農産物 | 繭 | 果実 | 蔬菜・花卉 | 工芸農産物 | 茶 | ワラ製品 | 計 |
1929年 | 100.0 | 100.0 | 100.0 | 100.0 | 100.0 | 100.0 | 100.0 | 100.0 | 100.0 | |
30 | 70.5 | 75.0 | 76.3 | 46.4 | 87.6 | 74.9 | 82.0 | 79.4 | 77.2 | 68.0 |
31 | 57.6 | 57.2 | 63.9 | 42.1 | 76.8 | 65.6 | 70.1 | 61.9 | 65.4 | 56.7 |
32 | 77.9 | 58.3 | 78.5 | 45.3 | 80.5 | 66.6 | 71.7 | 60.7 | 68.4 | 68.4 |
33 | 90.5 | 81.8 | 87.0 | 76.4 | 93.1 | 78.0 | 88.5 | 69.6 | 76.8 | 85.2 |
34 | 87.4 | 94.7 | 75.7 | 31.1 | 87.3 | 78.0 | 94.1 | 75.0 | 84.2 | 75.1 |
35 | 101.7 | 101.5 | 88.0 | 53.6 | 97.2 | 80.9 | 95.4 | 76.3 | 97.7 | 88.7 |
36 | 117.7 | 122.0 | 110.2 | 59.0 | 102.6 | 90.5 | 105.7 | 92.8 | 111.8 | 102.1 |
37 | 130.7 | 118.9 | 121.7 | 61.1 | 115.5 | 101.5 | 127.6 | 112.7 | 135.3 | 114.9 |
(岩波講座「日本歴史19」) |
このような農村不況の深刻化に対応して、同七年八月二十三日に召集された臨時議会は、救農議会と呼ばれ、農山村経済更生運動や時局匡救農業土木事業などの推進をみたのである。
本県においても、地方更生委員会・農山村計画委員会を設置し、「県ヲ挙ゲテ難局打開ニ邁進スルコトト相成候処、更生ノ途ハ一ニ県民が自奮自励、徒ニ他ニ依頼スルノ弊風ヲ去リ、積極敢為ノ精神ト新興ノ鋭気トヲ以テ、自力ニ依ル更生ヲ図ラシム云々」(「栃木県報第五七三号」)の目標を掲げ、各市町村に更生委員会を設置し、また、自力更生の指定町村をも設定するというものであった。
大田原市域の旧町村においては、同七年に親園村が指定になり、更生運動の指導的役割を果たした。そのほか同年に野崎村、八年に金田村、十一年に佐久山町が指定を受けたのである。
農山村更生計画樹立方針によれば、(一)自治刷新、(二)土地改良、(三)生産改良増配、(四)農山村教育、(七)生活改善、(八)社会的施設、となっており、農村の産業・経済・生活の全般にわたっている。親園村の具体的内容をみると、次のようなものであった。
○販売統制=小麦五千俵ヲ通ジテ統制販売セリ。
○共同作業場ノ設置=県ノ奨励ニヨリ実取農事組合ニ共同作業場ヲ設置シ、共同処理ヲ開始セリ。
○簡易堆肥舎ノ設置=県ヨリ補助ヲ受ケ百五十種ノ簡易堆肥舎ヲ建設シ、良質堆肥ノ生産ニ努メツツアリ。
○貯金ノ励行=貯金ノ励行ニヨリ窮境ニアル産業組合ヲ救ヒタル結果、組合ハ漸ク活動ヲ開始スルニ至レリ。
(「栃木県史 史料編・近現代四」)
親園実取地区が、戦後の生活改善のパイロット地区として県下に名を馳せた土台は、この農山村経済更生運動の実践の中で培われたともいえるのである。
いずれにしても、深刻さを加える農村不況の波は、各地に小作争議をも引き起こし、結局昭和十年ごろまでに、地主は小作地の解放を迫られることになる。各地に自作農創設記念碑が建立されるのもこのころである。
同八年の金田村の農産物価格をみると(第3表)、米価の落ち込みは甚だしく、同三年に比して麦価や煙草でばん回しても及ばなかったことがわかる。
第3表 旧金田村における米,麦,煙草の生産価格の比較 |
米 | 麦 | 煙草 | 農産物計 | ||||
反別 | 価額 (%) | 反別 | 価額 (%) | 反別 | 価額 (%) | 価額 (%) | |
町 | 円 | 町 | 円 | 町 | 円 | 円 | |
昭和3年 | 1,846.7 | 554,237 | 760.2 | 153,046 | 145.0 | 173,317 | 1,000,752 |
(55.4) | (15.3) | (17.3) | (100) | ||||
〃 8年 | 1,700.4 | 518,383 | 804.7 | 164,102 | 136.6 | 185,639 | 950,747 |
(54.5) | (17.3) | (19.5) | (100) | ||||
〃 13年 | 1,951.6 | 779,958 | 937.6 | 185,602 | 171.0 | 238,516 | 1,362,285 |
(57.3) | (13.6) | (17.5) | (100) |
(「金田村村勢要覧」,「むらの構造」近藤康男より作成) |
政府はこのような不況を乗り切るために、農山村経済更生運動や自作農創設などに加えて、生産組合の活動による互助活動を推進していった。各地に購買販売組合などが結成されたのもこのころであった。
その後、戦時体制下の経済に入り、同十三年には「国家総動員法」が公布され、同十五年に大政翼賛会が誕生し、いよいよ戦時体制は強化されて、同十七年には「食糧管理法」が公布され、国による食糧の統制は厳しさを増していったのである。
ここに明治十年(一八七七)と同四十二年(一九〇九)の旧大田原町の各種産物の価格統計があるので、参考までに次に掲げる(第4表)。
第4表 各種産物の価格統計(明治一〇年) |
品種 | 播種地反別等 | 石斤当り価格 | 産額 |
米 | 九十四町八反九畝歩 | 金四円三十五銭五厘 | 六百五十九石五斗四升 |
糯米 | 三反五畝拾八歩 | 四円三十銭三毛 | 弐石七斗五升 |
大麦 | 四町六反六畝拾八歩 | 三円三十五銭三厘 | 三十石四斗五升 |
小麦 | 拾九町六反六畝廿七歩 | 二円四十三銭九厘 | 二百八十石九斗九升 |
大豆 | 拾三町八反歩 | 四円 | 八十二石八斗五升 |
小豆 | 八反弐畝廿四歩 | 二十二石八斗 | |
稗米 | 拾七町九畝歩 | 三円四十八銭四厘 | 九十一石壱斗一升 |
粟米 | 三町壱反三畝拾五歩 | 三円四十三銭九厘七毛 | 三十一石三斗四升 |
蕎麦 | 六町四反五畝歩 | 三円三十銭 | 四十八石四斗三升 |
荏 | 拾六町二反九畝廿一歩 | 五円五十五銭五厘 | 九十七石七斗八升 |
胡麻 | 七反五畝廿七歩 | 三石三升五合 | |
岡糯米 | 壱町九反四畝六歩 | 四円 | 拾四石五斗七升 |
葉烟草 | 四町四畝拾五歩 | 四銭五厘七毛 | 五千五十五斤 |
八百八貫八百目 | |||
製茶 | 三町五反歩 | 三十三銭三厘 | 六百五十斤 |
繭 | 五十五銭五厘 | 四拾八石二斗八升 | |
生糸 | 四円六十三銭七厘 | 三百九十八斤 | |
六十三貫六百九十目 | |||
半紙 | 百枚十壱銭 | 拾三万二千枚 | |
漬 | 八十銭 | 四貫五百目 | |
実綿 | 二銭三厘五毛 | 千六百十八斤 |
品種 | 前年度比較 | |
増 | 減 | |
米 | 四十四石一斗九升五合 | |
糯米 | 四十七石四斗八升 | |
大麦 | 二十二石一斗五升 | |
小麦 | 八十五石一斗四升 | |
大豆 | 十二石四斗七升 | |
小豆 | 三石七斗三升 | |
稗米 | 六十二石六斗四升 | |
粟米 | 二十八石四斗八升 | |
蕎麦 | 九石八斗七升 | |
荏 | 四十九石四斗八升 | |
胡麻 | 壱石六斗八升五合 | |
岡糯米 | ||
葉烟草 | 五百五十八貫八百目 | |
製茶 | 百五十斤 | |
繭 | 二十三石二斗 | |
生糸 | 二十八貫六百九十目 | |
半紙 | 三千枚 | |
漬 | ||
実綿 |
(大田原・第八六) |
(明治四二年) |
品目 | 価格 | 品目 | 価格 | ||
精米 | 一四円 | 豚肉 | 一四銭 | ||
大麦 | 二〇円 | 鶏肉 | 三四銭 | ||
蒿 | 五円 | 鶏卵 | 二〇銭 | ||
堅薪 | 六円 | 砂糖 | 九銭 | ||
松薪 | 四円 | 塩 | 八銭 | ||
木炭 | 八円 | 馬鈴薯 | 八〇銭 | ||
味噌 | 二円五〇銭 | 葱 | 一円五〇銭 | ||
醤油 | 二五銭 | 塩鮭 | 五〇銭 | ||
牛肉 | 二八銭 |
(大田原・第五八) |