大田原町公益質屋の開設

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昭和の恐慌は人々の生活をどん底に落とし入れた。金融恐慌につぐ世界恐慌は、物価の下落を一段と激しくし、企業の倒産、銀行の休業が相次いで起こり、失業者が激増したのである。それに加えて、昭和九年は凶作であった。そのため大田原高等女学校では、卒業を前に控えての退学者が出たといわれており当時の新聞はこれらを次のように伝えている。
 
   凶作の影響
 大高女生卒業期を待たずに退学者が
大田原高等女学校の生徒は那須郡内凶作地出身者が多いためその影響を蒙り卒業期が近付いたが上級学校に進む者が本年は特に少なくそればかりか既に卒業期を待たず数名の退学者を出した。

(「下野新聞」 昭和一〇年二月二七日付)

 このような状況にあった大田原町に、県より次のような通知が流されてきたのである。
 
  社第一、八一八号
    昭和八年十一月二日
                                      栃木県学務部長
   市町村長殿
 
  公益質屋設置希望調査ノ件
昭和九年度ニ於テ公益質屋ヲ設置スル希望アル向ハ左記事項御了知ノ上来ル十二月五日迄ニ御申出相成此段及照会候也
 追テ期限マデニ御申出ナキ場合ハ希望無之モノトシテ処理可致候ニ付申添候
    記
一、設備費(創設費及之ニ伴フ初度調弁費)ノ二分ノ一以内ヲ国庫ヨリ補助セラル
一、運転資金及設備費ノ半額ハ社会事業低利資金トシテ大蔵省預金部ヨリ融通ヲ受クルコトヲ得但直貸トシ利率ハ年三分二厘トス

一、経常費ニ対シ県費ヨリ若干補助アル可キ見込
一、市町村義務教育費国庫負担法ニ伝ル昭和八年度特別市町村ニ対シテハ低利資金ノ利子ヲ国庫ヨリ全額補給セラルル見込

一、資金借入申込ハ昭和九年三月三十一日限トス

(大田原・第八九)

 これによって、大田原町長は三月二十八日の町議会で公益質屋設置の決議を取りつけ、県に設置の申請を出した。県はこれに対し、同九年十一月二十六日栃木県指令地第一、四七〇号を以て、大田原町公益質屋開設を許可した。
 これによって、同十年一月二十二日、大田原町一、九五〇番地ノ二(上町)に事務所一棟、倉庫二棟を設けて、業務主任に大久保敏夫を任命し、開業したのである。銀行から金を借りることができなく不動産などのない人々にとって、一般の質屋より安い金利の公益質屋は好評であって、当時の新聞は次のように報じている。
 
 利用者の最多は
  小商人側
     大田原町公益質屋
大田原町公益質屋開業一月二十二日から二月二十一日までの一ケ月間の成績は、
利用者職業別=小商人一三〇名、小工業四五名、労働者四三名、農業者三八名、俸給生活者一〇名、その他三二名、計二百九十名

この貸付金額計一、八八七円で質物の口数と点数は左の如くである。
 種別    口数    点数
 衣類   二〇六   九〇八
 装身具   四二    五〇
 家具    一〇    一四
 債券     六    二三
 その他   三四    六六
 合計   二九八 一、〇六二
なお貸付金弁済口数一八点数四六点、金額六十三円でその利子収入は五三銭であった。

(「下野新聞」昭和一〇年二月二七日付)

 公益質屋設置及経営資金一三、五〇〇円を大蔵省預金部より同九年十二月二十日借り入れ、公益質屋の運営に充てたのである。同十年より十一年にかけての利用状況は第11表のとおりである。
第11表 大田原町公益質屋の経営
(単位:円)
昭和入質出質流質
口数金額口数金額口数金額
10190636.30212.00
22821,747.002284.40
33352,049.8073416.00
44283,181.75157901.00
55773,122.302031,337.60
66153,498.103432,377.80
75563,438.703302,210.30
85773,081.454282,556.65
96723,556.855303,331.20
106693,867.006063,596.80
116163,708.156273,736.001753.50
126874,005.106463,629.20
1115352,470.904422,395.55
26212,998.705112,824.204997.20
37484.094.356393,876.351331.70
(大田原・第29)