戦後の公益質屋

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戦時中閉鎖していた大田原町公益質屋は昭和二十五年五月に再開された。この年の利用者は、小商人九二八人、俸給生活者七五六人、労働者五〇〇人、小工業者三八四名、農業者二一六人、その他一、四九八人、合計四、二七七人であった。公益質屋設置の目的が、社会福祉事業の一環として、庶民金融の実を挙げ、住民の福祉増進に寄与するとあるように、戦後の経済混乱と、激しいインフレに苦しむ人人にとって、町営の公益質屋は大変重要な役割を果たした。翌二十六年には四、五八八人利用者があり、最高の利用となるが、経済の復興とともに利用者も漸減し、同二十九年にはほぼ半分の二、三五三人となっていくのである。主な利用者は、俸給生活者・商業・労働者・工業・農業の順であり、貸付金も同二十六年の二、八四六、九六〇円を最高に同二十九年には一、六七四、八六〇円と減少していくのである(第12表)。これは、戦後の経済復興とともに、町民の生活が次第に向上しつつあったことを物語るものである。
第12表 市公益質屋
職業別利用者数(1)
(単位:人)
項目総数労働者商業工業俸給生活者農業その他
年次
昭和26年4,5885739355659772221,316
273,021336504399813165804
282,571368478286668148622
292,353320403222546176686

利用状況(2)
項目年間貸付金年間弁償金年度末現在貸付金
年次
昭和26年2,846,9602,650,7501,089,510
271,999,6902,064,2501,024,730
281,684,2601,731,080977,910
291,674,8601,704,950948,820
(「市勢要覧 大田原」昭和31年度)


野崎村公益質屋質札

 その後、大田原町公益質屋は、同二十九年の町村合併によって大田原市となってからも続けられた。しかし経済の高度成長期に入った同三十年代後半には、利用者が半減し同三十七年には六五三人になってしまった(第13表)。このような状況のもとに同三十九年八月一日、大田原市公益質屋は閉店したのである。
第13表 公益質屋の利用状況
昭和利用者数貸付金額(円)弁済金額(円)利子収入(円)
331,312928,200908,790148,352
341,099869,500877,950157,181
35805661,930658,700127,916
36793786,700818,050149,502
37653687,120761,73074,610
(「市勢要覧 大田原」1963)