質屋・金銭貸付業

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大田原銀行創立以前の金融機関として重要な役割を果たしたのは、大田原町に六軒あった質屋である(第14表)。町村制施行当時の金利は、一〇円に対して最高二円、最低一円六七銭、平均一円六七銭であった。一円の金利については最高二八銭、最低二五銭、平均二七銭であった。このころの日用品のうち、精米一升六銭、清酒一升一二銭、大工一日手間二八銭であったから、町に住む庶民にとって質屋は、ちょっと入用の小銭を借りるのに大変便利であったといえる。佐久山町にも質屋があったが、大田原町と同様であったものと思われる。
第14表 明治21~24年大田原町質屋の貸金(1)
年次店数年末現在1年間の貸出1年間の受戻1年間の流れ
口数貸出高口数貸出高口数受戻高口数流し高
2162,4142,6964,5184,2535,1243,942536615
2263,2493,3107,3627,6335,8556,041550636
2362,4774,8499,18710,2657,6748,004741722
2463,3494,8979,98710,2567,6788,512717823

質屋の金利歩合(2)
年次10円に対する1円に対する
平均最高最低平均最高最低
円 銭円 銭円 銭
211.842.001.67272825
221.842.001.67272825
231.842.001.67272825
242.603.202.00273519
(「栃木県統計書」)

 このような質屋のほかに貸金業があったのである。佐久山町営業税納額仕訳書によると、大字佐久山には五軒の金銭貸付業があったことが報告されている。金田村でも六軒の貸金業があったことが記されている。これらの貸金業者は、村の内外に広い土地を所有し、それから得られる所得のほかに、酒造業や商業を手広く行い、村でも有数の所得税納入者となっていた(第15表)。
第15表 所得納税者資額調
種目標的所得額姓名(略)
貸金一、四〇〇円二一〇円
貸金一、一〇〇円一六五円
貸金七六六円一一四円
貸金四五〇円六七円五〇銭
貸金二、一〇五円二一〇円五〇銭
貸金三〇〇円四五円
(金田・第二二)

 したがってこれら個人的金融資本が、町の産業や村の農業の資金として利用されていたのである。なかには次の例にみられるように、個人ばかりでなく、村役場で借り入れるということも行われていたのである。
 
 経常部歳入追加予算案(明治四十三年十月十八日)
(氏名) ヨリ四百円借入、四十四年三月マデノ利子四十四円ヲ加ヘ四百四十四円右承認ヲ得タシ
返済ハ本年十二月トシ利子ニ於テ十二円ノ得アリ必ス本年末ニ返金セヨトノ満場ノ意ナリ
議長 満場ノ意ヲ入レ本年十二月トシ返還ト決定ス

(金田・第二二一)