慶応四年(一八六八)、薩長を主力とする新政府軍と旧幕府軍との戊辰戦争が進められている九月八日、世は「明治」と改元されたのである。大田原藩兵も西軍として会津戦争に奮戦している時期であり、すでに江戸が東京と改称され、まもなく旧江戸城が皇居とされた秋でもある。
翌明治二年(一八六九)には、当市域に関連して二件の農民騒動が発生している。しかし、「大田原市史前編」で触れている事柄などはすべて割愛して、一般的世相から記述する。
この明治二年にはまた、大田原藩札贋造事件に連座して領民五名が処刑されたが、同四年の「新貨条例」により、従来の両・文などに代って、円・銭・厘の貨幣が発行され始めた。
同五年(一八七二)七月には「郵便制度」が全国的に施行され、翌六年末には郵便はがき(一枚半銭)が発売されたのである。