学制・徴兵令

662 ~ 662
同五年(一八七二)八月には「学制発布」があり、翌年ごろから大田原学校を始め、相次いで各地に学校が創設されたのである。この九月には新橋―横浜間の鉄道が開業されている。
 また十一月の徴兵の詔書および太政官告諭に基づく六年一月の「徴兵令」、そしてその後の数度の改正により、国民皆兵の義務兵役制度が確立されていったのである。ただこの徴兵告諭中の「則チ人タルモノ、固(モト)ヨリ心力ヲ尽シ国ニ報ゼザルベカラズ。西人之ヲ称シテ血税ト云フ。」という語句を、人民の生き血を絞りとるものと誤解して起こったといわれる徴兵反対一揆(血税一揆)が特に近畿以西各地に多く発生している。しかし、この徴兵忌避も、学制や同六年からの地租改正などに対する民衆の反発などと相まって起こったこのようなあらわな騒動も、共に当市域では見られなかった模様である。