大田原宿の武器保管

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明治十二年(一八七九)には、従前からの武器がまだ大田原宿には保管されていて、戸長から東京鎮台宇都宮営所に、和銃二〇挺、西洋銃四八挺(うち七連銃一、六起銃二、三二マイル銃四五)と報告している。また「国民軍年表」には、文久二戌年(一八六二)出生の一七歳から、天保十亥年(一八三九)出生の四〇歳までの合計六七六人の記載があり、徴兵制の浸透がうかがわれるのである。