親園村村葬

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しかし一方では、悲しみのうちに戦没の公報が伝えられ、町・村民の深い哀悼に迎えられる英霊も見られたのである。次に記すは、親園村の「戦病死公報」と、同村で執行された村葬での村長告辞である。
 
    人第壱六八号
 
                                近衛歩兵二等卒 国井市太郎
右ハ本年九月一日、台湾島中港兵站司令部離停室ニ於テ病死致シ候旨其筋ヨリ通報有之候条、不取敢及御通知候也

    明治廿八年十月十日
                                        親園村役場
    大字親園
     国井伊平 殿
 
親園村長荒井規矩謹テ国井市太郎君ノ霊ニ白ス 君嚮キニ征台ノ軍ニ従ヒ遠ク蛮地ニ赴クノ報ニ接スルヤ心竊ニ期ス功成リ名遂ゲテ錦衣郷国ニ帰ルノ栄ヲ見シ事ヲ 計ラザリキ今日此不幸ニ遭遇セントハ 痛悼ノ余リ村会ト議ヲ定メテ茲ニ村葬ノ礼ヲ行フ 儀ハ固ヨリ備ハラズ意ハ誠ヲ尽サス 希クバ薄儀ト雖モ来リ亨ケヨ

   明治廿八年十二月廿日
                                    親園村長 荒井規矩
(国井勝実文書)