第6表 農業者の労働日数及び労働時間 |
性別 | 期間 | 労働日数 | 一日労働時間 | 夜業 | |
日数 | 時間 | ||||
男 | 自二月~至四月 | 七十日 | 七時間 | 四十日 | 二時間 |
自五月~至七月 | 八十日 | 八時間 | 三十日 | 二時間 | |
自八月~至十月 | 六十日 | 七時間 | 五十日 | 三時間三十分 | |
自十一月~至翌年一月 | 七十日 | 六時間 | 六十日 | 三時間 | |
女 | 自二月~至四月 | 七十日 | 七時間 | 四十日 | 二時間三十分 |
自五月~至七月 | 八十日 | 八時間 | 三十日 | 四時間 | |
自八月~至十月 | 六十日 | 七時間 | 五十日 | 三時間三十分 | |
自十一月~至翌年一月 | 七十日 | 六時間 | 六十日 | 三時間 |
(那須郡役所ヨリ佐久山町長宛照会依頼ノ報告) |
(佐久山・第二二) |
なお、日露戦争中の同三十七年(一九〇四)十二月に、渡良瀬川河岸の下都賀郡谷中村が県に買収され、廃村とされることになったのである。足尾銅山からの鉱毒被害を、県選出代議士の田中正造が国会で取り上げ、天皇に直訴を試みたりして、全国的な問題となった村である。鉱毒水の沈澱遊水池となるこの村から、八戸がその名を留める北金丸谷中地区に移住したのは、翌年十一月のことで、いまその地に、昭和二年同月建立の「開墾記念碑」を見ることができる。
明治38年頃の商店広告(郡司猛子氏蔵)
明治38年頃の商店広告(郡司猛子氏蔵)
他方三十九年(一九〇六)には、軍事上の要請からも「鉄道国有法」が公布施行され、国内の主要鉄道は民間の経営から日本国有鉄道へと移行したのである。日露戦争後の軍事的様相は、県立大田原中学校で「発火演習」といわれた対敵演習が始められたりした事からもうかがわれる。また、大田原小学校明治四十一年(一九〇八)「春季運動会順序」にも、「水雷攻撃・赤十字担架競争・連隊旗奪ヒ・海戦」などと、戦争に関連する競技種目が多数散見されるのである。