この十四年三月一日から、「あーあーあー聞えますか。JOAK。こちらは東京放送局です。」との第一声でラジオのテスト放送が開始され、七月から本放送となった。当初の聴取者数は五、四五五名程度であったのである(「明治・大正・昭和世相史」加藤秀俊ら著、社会思想社)。しかし、当市域で聞かれるようになるのは、まだ後年のことである。
以下、親園村長の村会に対する「大正十四年度事務報告」から、社会的側面を抽出してみる。
一、一般事務ノ成績
(前略)本年度ニ於テハ国勢調査ノ如キ特殊ノ事務アリ、(中略)甚ダシキハ日曜祭日ト雖モ休暇ヲ取ルコト能ハザルノ状態ニアリ。然レドモ村吏員ノ誠実精励ナル曽テ惓ムナク各一種ノ趣味ヲ以テ事務ニ従事シ、更ニ村会議員・学校職員・人民惣代其他各種ノ団体幹部等直接ニ間接ニ村事業ニ干与シテ其遂行ヲ容易ナラシメ、殊ニ最モ注意スベキ思想界ノ変調ニ対策シテハ窮行範ヲ示シテ意思ノ疎通ニ勉メ、民風ノ改善ヲ計リ勤倹質素ノ美風ヲ養成シ、穏健着実ナル自治ノ発達ヲ企図シ(中略)、幸ニ事務ノ渋滞ヲ来シタコトナシ(以下略)。
三、諸税徴収ノ状況
(前略)一戸平均百円ニ垂ントス、此ノ外、(中略)村民ノ負担決シテ軽シトセズ。加フルニ大正十年以来ノ経済界ノ逆潮ニ伴フ物価ノ低落ハ農産物ノ価格ヲ低価セシメ、為メニ農家経済ニ多大ノ影響ヲ及ボシタルヲ以テ、其打撃ハ米価昇騰ノ今日今尚挽回スベクモ非ズ(中略)、未ダ曽テ滞納処分ヲ実施シタルコトナシト雖モ指定ノ期間内ニ於テ完納セシナルコト能ハザルヲ遺憾トス。
十、雑件
五、大正十四年十二月十三日、本村青年団調査方案ニ依リ団員検閲ヲ執行スルニ当リ総動員ヲ行ヒ、本県社会主事ノ点検ヲナセリ。
(親園・第六)
前記親園地区内北区・南区などでは、江戸時代から飢餓に備えて共同で穀類を蓄えておく郷倉制度が昭和十五年ころまで現物納で維持されたが、この当時の農村不況は昭和初期にかけてますます、特に小作農民層に深刻化してゆく。いち早く野崎村で建議された「自作農創設維持資金借入ノ件」でも、「今ヤ政府ハ疲弊困憊ノ極ニアル農村救済ノ一策トシテ」と書きはじめているほどである。