大正天皇崩御

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大正十五年(一九二六)十二月二十五日(土)大正天皇(四八歳)が、神奈川県葉山御用邸で崩御された。このことは旧制大高女「教務日誌」には次のように記録されている。
 
今朝警察ヨリ電話ニテ、聖上陛下二十五日午前一時二十五分御登遐遊バサレタル由通告アリ。直チニ職員全部ノ非常招集ヲ行ヒ相談ノ結果、本日午前十時遙拝式挙行ニ決シ、本町在住生徒ニ電話ニテ通告招集ヲ行フ。

 当時の民情を偲ぶべく、大田原中学校渡辺留吉教諭が、同校「校友会雑誌」に寄せた次の一文も掲げる。
 
「八千万同胞が、大内山の陰雲を晴さんと、赤誠をこめし甲斐もなく、大正の御代に別れ茲に昭和の年を迎えねばならぬ様になった。緑したたる松竹や、さやかな日章旗の影もなく、只黒々と旗に胸に喪章の悲しい色を見るのみである。嗚呼、何たる哀しく口惜しき年を迎えた事であろう。自分は十五年前は広島市滞在中、明治大帝の御崩御に逢い奉り、赤子の慈母に別れた様な感じがして泣き出した事を思い起さるるが、今茲に大正天皇の御登遐に逢い奉りて、畏れ多くも稚子が厳父に別れた様な感じがある。云々」

 そして、前年度に続く親園村「大正十五年度事務報告」から、頭初と末尾の一部を抜き書きして大正期を擱筆する。
 
殊ニ普通選挙法ノ実施ハ目前ニ迫リ、……不図大正十五年十二月二十五日先帝崩御アラセラレ昭和ト改元セラル此ノ多忙ナル時ニ際シ……

大正十五年十二月十六日 先帝陛下ノ御悩アラセラルル御事公表セラレ恐懼ニ堪エズ 御悩御平癒ノ祈願式ヲ村社湯殿神社ニ於テ挙行シタリ

大正十五年十二月二十五日午前零時 先帝崩御ノ御事公表セラレ諒闇ニ入リ、直ニ態夫ヲ以テ村民ニ通知シタリ

大正十五年十二月二十五日改元ノ通牒ニ接シ直ニ村民ニ移牒シタリ

(親園・第六)