昭和改元の新聞記事(大田原女子高提供)
この昭和元年はわずか一週間の期間であった。翌二年四月に大田原小学校校長から栃木県知事宛に提出された、「社会改善資料調査票報告」(大田原小学校所蔵)により、大正から昭和への一般的世相を概括すべく、適宜酌量して次に掲載する。
「人情」の項では、「県北重要ナル農村都市トシテ諸官衙・学校等ノ機関具ハリ、地方人ノ出入繁ケレドモ、一般ニ素朴懇切ナリ」で書きはじまり、項を追って「娯楽又ハ慰安ノ方法」では「一般大人ニアリテハ将棋・飲酒」、「婦人子供ハ活動写真・芝居見物ヲ好ミ常設館一、劇場一アリ。興業主ノ相当収益アルヲ見テモ、入場者多キヲ知ル」、「青年ノ娯楽トシテハ一部ノモノ運動読書ヲナスニ止マル。将来町営ノ図書館・グランドヲ施設スルノ要アラン。比較的花柳界ノ発展セルモ注意スベキ一事ナリ」と書かれ、「農村ニ於ケル青年男女」のなかには、「都会生活ヲ夢想スルモノ多ク、自己ノ愛郷ヲ捨テテ只上京サヘスレバ何物カニ有付ケルト云フ単純ナル考ヘヲ持ツモノ」があり、一方「骨ヲ折ラズニ暮セル、儲カルト信ズル俸給者若シクハ商業者タルヲ要望スル傾キアリ。モシ其ノ俗長ク推移セバ、農村特ニ蕪レントスノ苦境ニ陥ラン」との警世の語も見られ、他方「飲酒喫煙ヲナスモノ」、「丁年未満者ニアリテハ頗ル稀レ」で「此ノ種ノ違反者ニ対シテ注意又ハ訓戒ヲ与ヘタルモノ僅カ一四、五名ニ過ギズ」、「女子トシテノ風紀ハ一般ニ良好ト認メラルル」とも報告されている。また、「時間ニ対スル観念薄ク、諸集会等ニ定時ニ参集スルモノ稀」とか、あるいは結婚時には年収の一〇割を出費し、不幸時には相当の香典返しをするなどの「虚礼ニ流レザル様改メタキモノナリ」とも書かれているのである。