昭和二年度事務報告〈金田村〉
未曽有ノ成典ヲ行ハセラルヘキ望多キ年ヲ迎ヘ……(中略)
輓近社会ノ風潮ヲ按スルニ軽佻浮薄ノ習漸ク萠シ道義ノ観念日ニ廃頽ニ傾キ動モスレハ己カ権利ヲ主張スルニ汲々トシテ義務ヲ等閑ニ付シ去ラントス(中略)次年度ノ予算編成ニ際シテハ、久シキニ亘ル財界不振ノ影響ヲ受ケ疲弊困憊セル本村ノ窮境ヲ念ヒ専ラ民費負担ノ軽減ヲ念トシタリト雖モ、一度村民将来ノ福祉ニ思ヲ致サハ幾何ノ膨張亦已ムヲ得サルモノアリ(以下略)。
未曽有ノ成典ヲ行ハセラルヘキ望多キ年ヲ迎ヘ……(中略)
輓近社会ノ風潮ヲ按スルニ軽佻浮薄ノ習漸ク萠シ道義ノ観念日ニ廃頽ニ傾キ動モスレハ己カ権利ヲ主張スルニ汲々トシテ義務ヲ等閑ニ付シ去ラントス(中略)次年度ノ予算編成ニ際シテハ、久シキニ亘ル財界不振ノ影響ヲ受ケ疲弊困憊セル本村ノ窮境ヲ念ヒ専ラ民費負担ノ軽減ヲ念トシタリト雖モ、一度村民将来ノ福祉ニ思ヲ致サハ幾何ノ膨張亦已ムヲ得サルモノアリ(以下略)。
(金田・第八九)
昭和三年度事務報告〈親園村〉
一、一般事務ノ成績
(前略)
連年打続ク農家経済ノ不況ハ年ト共ニ益々村民ノ生活ニ不安ノ念ヲ齎シ殊ニ本年ニ至リテ更ニ稀有ノ凶作ノ悲運ヲ見ルニ及ヒ、為メニ人心萎縮シテ雄大ナル気風将ニ去ラントスル時ニ当リ……(中略)十一月ノ候ニ至リ、畏クモ 今上天皇陛下即位ノ大典ヲ行ハセ……
(中略)
三、諸税徴収ノ状況
(前略)
逐年ノ経済不況ハ益々深刻ノ度ヲ加ヘ為メニ納税成績ニ及ホス影響少シトセズ、加フルニ本年ノ生産ニ於テ生産物タル米穀ハ気候ノ変調ニ伴フ減収ヲ余儀ナクシ本村一帯ノ減収実ニ三割以上ノ統計ヲ示シ、尚全国的ニ多収穫ヲ発表シタル米価ハ前年ニ比シテ市場ニ於ケル価格ハ約二割ノ低落ヲ示シ本村経済ノ約五割ハ烏有ニ帰シタル状態ナリ……(以下略)
(親園・第六)
前出の大田原小学校所蔵の「社会改善資料調査票」控では全く触れられていない農村不況が、旧金田村・親園村の「村会に対する事務報告」などに、抽象的な表現ながら次第に悪化する様相を伝えているのである。
昭和二年銀行の取付け、金融恐慌が始まり、同四年十月のアメリカの株式大暴落に端を発した世界恐慌と、翌年の金解禁施行が裏目となって、経済不況はいよいよ深刻度を増していった。特に昭和の農業恐慌とさえいわれる事態は、日中戦争の始まった同十二年まで続くのである。
まずこの時期前後の米価は、玄米一俵(四斗・六〇キログラム)単位の「米価三代暦」(注 改訂日本農業基礎統計による、深川正米相場年間平均)によると、大正十四年一六円六四銭、昭和六年には七円三九銭と暴落したのである。