満州事変から、昭和二十年の第二次世界大戦終結までを、「一五年戦争」という学説もある。ただ事変以降、直接の武力衝突は一応影をひそめ、日本は同八年の国際連盟脱退、九年のワシントン軍縮条約破棄へと進むのである。国内では自由主義的傾向を押えつつ、軍国主義的風潮は極度に高まっていくのである。
同十年三月十日、那須郡町村会長・大田原・西那須野町長・狩野村長等主催による「三〇周年陸軍記念日行事」の記念式・愛国行進が各層代表者たちを集めて大々的に挙行された。西那須野町大山巌元帥墓地を中心に展開され、乃木神社参拝で解散しているこの行事などは、端的にこの空気を伝えるものである。
同十一年雪の東京で起きた一部将兵らによる襲撃で、「岡田啓介首相ら即死す」の誤報まで出た二・二六事件により、軍部独走の体制がなお強化された。十一月二十五日には日独防共協定がベルリンで調印され、一年後にはイタリアも参加して、枢軸関係が形成されてゆくのであった。