同年五月二十二日には、「青少年学徒ニ賜リタル勅語」が下賜された。続いて七月の「支那事変勃発二周年記念行事実施要綱」(金田・第二一一)によると、「我等臣民は日常を戦場と心得、大御稜威の下、興亜の大事業に邁進し、以て聖旨に副ひ奉らんことを誓ふ」のである。また一般家庭では「黎明ニ起床シ一家揃ツテ皇太神宮ヲ奉拝シ……」、また「正午ヲ期シ各其ノ在処ニ於テ戦没勇士ノ英霊ヲ追悼シ出征将兵ノ武運長久ヲ祈願スルコト、コノ為同時刻ニハ市町村ニ於テサイレン、鐘等ヲ用ヒ周知方法ヲ講ズルコト」などとされたのである。「戦時中は中元はやめましょう」とか、「パーマネントはやめましょう」が本格的になり、白紙による国民徴用令が七月十五日に実施となったのである。