興亜奉公日

721 ~ 722
八月には県各部長連名で県下市町村長宛に「興亜奉公日設定ニ関スル件」(金田・第一二二)が通達された。その文章を追って要旨を述べるとおよそ以下のようである。
 「聖戦茲ニ満二年事変ハ新東亜建設ノ段階ニ入リ国民益々時局認識ヲ深メ挙国一致体制ノ下国民精神ヲ総動員シ堅忍持久国家総力ノ増強ニ邁進スベキ秋(トキ)」、「今般政府ニ於テ戦時下ニ於ケル心構ヘノ一ツトシテ来ル九月一日ヨリ毎月一日ヲ興亜奉公日ト決定」し、「当日全国民ハ挙ツテ戦場ノ労苦ヲ偲ビ自粛自省之ヲ実際生活ノ上ニ具現スルト共ニ興亜ノ大業ヲ奉賛シテ一億一心奉公ノ誠ヲ效シ強力日本建設ニ向ッテ邁進シ以テ恒久実践ノ源泉タラシムル日トナス」とされたのである。
 その実践項目としては、各市町村・官庁・学校等では神社参拝、奉公日挙式などが実施され、そのなかで皇居遙拝、皇軍の武運長久並びに戦没将兵に感謝の黙祷などを捧げることとされ、部落・町内会では各所帯が黎明鎮守の境内に参集して祈願することなどが指示されている。また出征将兵への慰問品・慰問文の送付とか、遺家族慰問などもすすめられており、さらに各家庭でも黎明に起床し、一家揃って皇太神宮を遙拝し、皇室の御安泰を寿ぎ奉ると共に、国威伸暢を祈念し、神仏に供御して報恩感謝する黎明行事なるものも掲げられているのである。
 そして、「日の丸弁当」、禁酒禁煙、節約貯金(男女青年団では一銭貯金)等を実施し、共に生活用品の利用更生、廃品回収などの推進項目が盛られているのである。奇しくもこの第一回興亜奉公日当日欧州では、ドイツがポーランドに侵入して第二次大戦の火ぶたが切られているのである。