満州移民

725 ~ 725
この十五年「二月十一日の紀元節の佳節を卜(ボク)し、克東県潤津村(貞字井四撮房屯)(花園)を那須分郷地として、団員一三名幹部三名の現地入植を了せり。」と「栃木県史 史料編・近現代三」に転記文書がある。この花園開拓団団長は親園村出身の磯瀬一であり、第九次満州集団移民の一部基幹先遣隊である。将来郡内町村から三〇〇戸を送り出し、畑三、九〇〇町歩(三、九〇〇ヘクタール)などの経営を予定していた。位置は東経一二六度一八分、北緯四八度〇四分、標高三三〇~三八〇メートルの黒色性腐植土に富む地味肥沃地とされたが、その後の詳細については不明である。

花園開拓団員